不登校に反抗期が重なると、家の中は戦場になります。
怒鳴り合い、家出、壁を殴る音——。「もうこの子とはやっていけない」と本気で思った時期がありました。
この記事では、反抗期×不登校で崩壊しかけた親子関係が、どうやって再生したのかをお話しします。
不登校と反抗期の始まり
息子の反抗期が始まったのは、中学1年生の後半。不登校が続く中で、私が勉強を強要し始めた頃からでした。
部屋のドアは閉まったまま。顔を合わせれば怒鳴られる。それでも、息子は私を遠ざけきれていなかった。
小学生の頃、息子は毎日のようによく私に笑顔を求めてくる子でした。仕事で余裕がなかった私は、その度にちゃんと笑えていたのだろうか。
——反抗期が始まってからは、そんな言葉は二度と聞けなくなりました。それでも怒鳴り合いの後、しばらくすると「ママ怒ってる?」「ママ、おやすみ」「ママ、一緒にお菓子食べよ?」と何度も顔色をうかがってくる。反抗しながらも、私を失うことを怖がっていたのだと、今なら分かります。
ある荒れた夜。部屋に閉じこもっていた息子が、しばらくして台所に降りてきました。何をするのかと思ったら、私の好きな温かい飲み物を黙って差し出してきたのです。数時間前に怒鳴り合いをした相手に、そっと手を伸ばす。言葉にできない「ごめん」が、マグカップ1杯分の温度になって届きました。
私がやっていたこと
- スマホの使用時間を厳しく制限
- LINEの内容をPCで監視
- 位置情報を常にチェック
- 毎日のスケジュールを立てて「ここまでやりなさい」と指示
- 学校のママ友に提出物を確認して息子に伝達
「あなたのために言ってるのよ」——そう思っていました。でも、自我が芽生えた中学生の息子にとって、それは支配でしかなかったんです。
友達の親に「話を聞いてもらえなくて辛かった」と息子が訴えていたと聞いた時、私が会話だと思っていたものは一方的な説教だったのだと思い知りました。
息子の反応
- 「うるさい!」と怒鳴る
- 「いなくなれば?」と吐き捨てる
- 部屋に入っただけで「出ていけ!」
- 壁を殴る
- 家出を繰り返す
- 食事を一緒に取らなくなる
- LINEで友達に「死にたい」と送っていた
息子は私にも「もう死にたい」と言ったことがありました。でも当時の私は、言っているだけだろうとスルーしてしまったのです。しばらくして、友達へのLINEにも「死にたい」と繰り返し送っていることを知り、さすがに血の気が引きました。慌てて知り合いの小児科医に連絡を取りました。
毎日が怒鳴り合いの喧嘩。家にいるのがつらくなりました。
後になって気づいたのですが、息子の激しい反応の裏にはADHDの衝動性が隠れていた可能性があります。ADHDの不注意型グレーゾーンと分かったのは少し後のことですが、衝動を抑えきれない特性と思春期の反抗心が化学反応を起こしたように、怒りの爆発は常軌を逸していました。壁を殴る、物を投げる——当時は「なぜここまで荒れるのか」理解できませんでしたが、発達特性という視点を持っていれば、もう少し違う対応ができたかもしれません。
親子関係が「崩壊」した瞬間
ある日、息子に勉強のことで口論になった時、息子がこう言いました。

たった一言でした。でも、シングルマザーとして必死で生きてきた私には、胸を刺されたような痛みでした。
でも冷静になってから、息子の言葉の意味を考えました。私の親族はほとんどが医師です。その中で育った私は、無意識のうちに「息子を医者にすること=親としての成功」と信じていました。息子が本当に求めていたのは「好きなことを認めてほしい」というシンプルな願いだったのに、私が差し出していたのは「医者になる道筋」ばかり。その絶望的なすれ違いが、あの言葉に凝縮されていたのだと、ずっと後になって分かりました。
追い詰められた家計
親子関係が壊れていく裏側で、お金の問題も私を追い詰めていました。
不登校の遅れを取り戻そうと通わせた個別塾は、1時間8,000円。月にすると約4万円の出費です。シングルマザーの私にとって、それは綱渡りのような金額でした。息子に不自由な思いをさせたくない一心で働き詰めの毎日。でも貯金はしっかりと減っていく。その焦りが、さらに息子への「勉強しろ」を加速させていたのだと思います。
フリースクールや専門家への相談も試みましたが、費用の壁と息子の拒否に阻まれました(支援制度についてはこちら)。お金をかけても、かけなくても、出口が見えない日々が続きました。
その夜、私は初めて「もう無理かもしれない」と思いました。親子関係が完全に壊れたと感じた瞬間でした。
また別の日のこと。仕事から疲れて帰った私に、息子がぽつりと言いました。

友達のお母さんは学校の帰りに「おかえり」と迎えてくれる。一緒にご飯を作ってくれる。でも私は朝から晩まで仕事で、家にいてあげられない日が多かった。教育熱心な家庭が多い地域で、私が働いている家は少数派。息子の目に映る私は、「他のお母さんとは違う人」だったのだと思います。——離婚を選んだのは私です。その選択が息子をこんなに寂しくさせていたのかと思うと、その夜は床にへたり込んで泣くことしかできませんでした。
私の無理に気づいていた息子
喧嘩ばかりの日々の中で、ひとつだけ忘れられない場面があります。息子は欲しいものがあっても、ネットで最安値を調べてからでないと買おうとしない子でした。ある夜、疲れ切って帰った私の顔をじっと見て、ぽつりとこう言ったんです。
シングルマザーの私がずっと無理をしていることに、息子は気づいていたんだと思います。喧嘩の日々の裏側で、子どもなりに心配してくれていた。そのことに気づけなかった自分が、しばらく情けなかったです。
「せっかくここまでしてあげたのに」——私の愛は取引だった
管理をやめる前に、もう一つ気づかなければいけないことがありました。
「せっかく中学受験させたのに」「せっかく塾に通わせたのに」「せっかく私立に入れたのに」——私はこの「せっかく」を、何度息子にぶつけただろう。口に出さなくても、態度に出ていたと思います。
あれは愛じゃなかった。取引だったのです。「これだけお金と時間をかけたんだから、結果を出してほしい」。息子の合格は「私が勝った」と感じていたし、退学は「私が失敗した」と感じていた。息子の人生なのに、いつの間にか私のアイデンティティが息子の成績に丸ごと乗っかっていた。
親族がほぼ全員医師という家庭で育った私は、「ちゃんとした道を歩ませなきゃ」という呪縛を持っていました。その呪縛が私を通じて息子に降りかかっていたのだと気づいた時、ようやく「管理」を手放す覚悟ができたんです。
転機:「管理」をやめた
私がうつ病を発症し、もう息子を管理する気力がなくなった時、皮肉なことに状況は好転し始めました。
やめたこと
- 「勉強しろ」と言うこと
- スマホの監視
- スケジュール管理
- 成績や進路について口出しすること
- 「こうあるべき」という理想を押し付けること
代わりにやったこと
- 息子の好きなこと(料理・ギター・筋トレ)を否定しない
- 話しかけてきた時だけ応じる
- 「おはよう」「おやすみ」の挨拶だけは続ける
- 息子の前では泣かない(つらい時は自分の部屋で泣く)
最初のうちは、話しかけてきた時だけ応じるようにしていました。でも少し落ち着いてきた頃から、勉強の話は一切せずに、息子の好きなことだけを話題にするようにしました。料理が好きな息子に「何か作りたいものある?」と聞いたり、「最近どんな曲弾いてるの?」とギターの話を振ったり。命令ではなく、質問。指示ではなく、興味。たったそれだけのことなのに、息子の表情が少しずつ柔らかくなっていきました。
振り返ると、反抗期の息子に必要だったのは「正しい声かけ」ではなく、「安心できる空気」だったのだと思います。怒られない、追い詰められない、ただ一緒にいるだけで大丈夫——その感覚を取り戻すのに、何ヶ月もかかりました。
最初は不安でした。「このまま放置して大丈夫なのか」と。でも、口出しをやめた途端、家の空気が変わったんです。
少しずつ戻ってきた「普通の日常」
変化は小さなことから始まりました。
子どもの部屋から何の音もしなかった日々が、何ヶ月も続いていた。ある時期から、下手なギターのコードが聞こえるようになった。うまい下手の話じゃなかった。「音が出ている」という事実だけで、私は廊下で泣きそうになった。
1ヶ月後
「出ていけ」と言わなくなった。部屋のドアが少し開いている日が増えた。
2ヶ月後
リビングでテレビを見るようになった。食事を一緒に取る日が出てきた。
この「一緒に食卓でご飯を食べる」ということが、どれほど大きかったか。反抗期の最中、息子は私と同じテーブルに座ることを拒否していました。私が作ったご飯に手をつけず、カップ麺を自分の部屋で食べる日もあった。それが、向かい合って「おいしいね」と言い合えるようになった瞬間、偏差値とか進路とか職業とか、そういうものが一気にどうでもよくなりました。この子が笑って隣にいてくれるだけで、充分じゃないかと。教育熱心な環境のプレッシャーの中で見失っていた「幸せの基準」を、食卓が教えてくれたんです。
3ヶ月後
ある日、キッチンから息子が来て、「料理作ったから食べてみて」と。
その一言に、涙が出ました。何ヶ月ぶりに、息子から話しかけてもらえたんだろう。
中学の頃、息子の部屋のドアが開く音は怖かった。怒鳴られるか、にらまれるか、舌打ちされるか。身構える毎日でした。でもあの日、同じドアが開いてこう聞こえた時、
体が全然違う反応をしました。身構える代わりに、胸の奥が温かくなったのです。あれだけ拒絶していた息子が、普通に話しかけてくれる。他の家庭では当たり前のことかもしれない。でも私にとっては、当たり前ほど幸せなことはなかったのです。
半年後
息子は自分から「高校に行きたい。全日制がいい」と言うようになりました。前の学校の友達みたいな仲間が欲しい、と。
勉強については、通信講座を提案した時、「これならやれそう」と自分で選びました。
反抗期を乗り越えて学んだこと
この経験を通じて、私が学んだことをまとめます。
① 反抗期は「自立のサイン」
親に反発するのは、子どもが自分の意志を持ち始めた証拠。小学生の頃のように「言うことを聞く子」を求めるのは間違いでした。
② 管理すればするほど逆効果
監視・管理・強要は、子どもの自主性を奪います。特に不登校の子は、すでに自信を失っている状態。そこにさらにプレッシャーをかけるのは最悪の対応でした。
③ 「何もしない」が最善の場合もある
親が手を引いたことで、息子は自分で考え、自分で動き出しました。「見守る」ことは「放置」ではありません。
④ 子どもは親の状態を見ている
私がイライラしている時は息子も荒れ、私が穏やかな時は息子も落ち着いていました。親の精神状態が子どもに直結することを痛感しました。
⑤ ひとりで抱え込まないこと
シングルマザーの私にとって、学校行事は孤独そのものでした。説明会も体育祭も、周りは夫婦で来ている人ばかり。ひとりでぽつんと立っている自分が、どうしようもなく惨めに思えて。
ある年の体育祭、息子に「来なくていい」と言われたのを真に受けて、行きませんでした。後日、友人から「息子くん、応援団やっててかっこよかったよ」と聞かされた時は、電話口で言葉が出ませんでした。その姿を見られるチャンスは、もう何回も残っていなかったのに。
あの日のことを思い返すと——体育祭の日、私は家で洗濯物を畳んでいました。午後、ベランダから遠くの学校のアナウンスがかすかに聞こえて、思わず手が止まってしまって。行けばよかったのか、それとも息子の言葉を尊重してよかったのか、今も正解は分かりません。ただ、ひとりで抱え込まずに誰かに「どうしたらいい?」と聞ける場所があれば、あの日の判断ももう少しマシだったのかもしれないと思っています。
⑥ 「助けて」と言える場所を見つけること
どうしようもなくなった時、市の相談窓口に足を運んだことがあります。発達障害の相談窓口でしたが、息子のことだけでなく、私自身の話も聞いてくれました。
担当の方に「お母さん、頑張ってるね」と言われた瞬間、涙がにじみました。
誰かに「辛い」と言える相手がいたら違っていたかもしれない。でも両親には心配をかけたくなくて、ずっとひとりで耐えていたんです。その重さが、たった一言でこぼれました。あの時、市の相談窓口に足を運んで本当によかったです。「お母さん、頑張ってるね」と言ってもらえるだけで、明日もう一歩だけ進めそうな気がするから。
反抗期の渦中で私を救った3冊の本
反抗期の最中、私はたくさんの育児書やネットの記事を読みあさりました。でもその中で、本当に心に刺さった本が3冊あります。
「子どもを信じること」田中茂樹

息子のことをもっと知りたい、どうすればこの子を理解できるんだろう——そう悩んでいた時期に、知り合いの小児科のママ友から勧められた1冊です。
読み進めるうちに、私はどれだけ息子のことを信じていなかったか思い知りました。「この子は言わなきゃ勉強しない」「管理しないと生活が崩れる」——全部、私が息子を信じていなかった証拠でした。そしてそれはしっかりと息子に伝わっていた。「信じてもらえていない」と感じた息子の反抗が、どんどん悪化していった原因のひとつだったのだと、この本を読んで初めて気づきました。
「抱きしめよう、わが子のぜんぶ」佐々木正美

こんなことを言う私は最低だと分かっています。でもあえて書きます。
毎日息子に暴言を浴びせられているうちに、私は息子のことをかわいいと感じなくなった時期がありました。幼い頃から溺愛してきた、世界で一番大切な息子を「かわいい」と思えない。親にとって、これほど辛い現実はありません。
どうすれば今の息子を受け入れることができるだろうか。良い面だけじゃなく、暴言を吐く面も、壁を殴る面も含めて息子を愛したい——そう思って手に取ったのがこの本でした。児童精神科医の佐々木正美先生が書かれた本で、「この子はこの子のままでいい」というメッセージが、ボロボロだった私の心にしみ込んできました。
私の場合——この本の「この子はこの子のままでいい」という言葉に、ボロボロだった心が少しだけほどけました。
「反応しない練習」草薙龍瞬
写真の右側に一緒に写っているのが「反応しない練習」です。私は息子の一挙一動に反応しすぎる性格でした。ドアを閉める音、ため息、スマホを触る姿——すべてに過剰に反応して、「また勉強してない」「またスマホ…」と口を出してしまう。それが自分でも分かっていたので、この本を読んでみることにしました。
正直に言えば、本を読んだからといって息子の全てを急に愛せるようになったわけでも、一切反応せずスルーできるようになったわけでもありません。でも、少しだけ心を落ち着けることができるようになりました。「反応しない」というのは無視することではなく、感情に振り回されずに一呼吸おくこと。それだけでも、息子との関係は少しずつ変わっていきました。
この3冊が、私が「管理をやめる」決断をする支えになりました。同じような状況で苦しんでいるお母さんに、ぜひ読んでほしいと思います。
今、同じ状況にいる親御さんへ
反抗期と不登校が重なると、本当に出口が見えなくなります。
「不登校?私なら引きずってでも連れて行くわ」——そう思う人もいるかもしれません。でも想像してみてください。布団にもぐり込んで全身で抵抗する、自分より体が大きくなった子どもを、一体どうやって連れて行くのか。「義務教育なんだから家で勉強くらいさせろよ」と思う人もいるでしょう。散々やらせようとして、親子でボロボロになったんです。やれることは全部やった。それが全て不正解で、追い詰められて今がある。子どもをこれ以上壊したくないから、親が盾になって関わり方を変えた——それが外からは「甘やかし」に見えることも、わかっています。
同じ悩みを持つ方の声を、ネットの相談掲示板でたくさん見てきました。
「感情がコントロールできません」「もう出ていきたい」——そんな正直な言葉に、かつての自分が重なりました。反抗期と不登校が重なると、親の心は想像以上に追い詰められます。
でも、必ず終わりは来ます。うちの息子は中学2年生の冬に、笑いながらこう言ってくれました。
あの日のことは、ずっと覚えていると思います。
私の場合——反抗期の終わりに気づいたのは、終わってずいぶん経ってからでした。渦中にいる時は、終わりなんて見えませんでした。
でも、我が家は壊れかけた関係を修復できました。
きっかけは「管理をやめたこと」と「学習サービスという、親が口出ししなくていい学習方法を見つけたこと」でした。
🔥 反抗期×不登校の子への接し方で変わった7つのこと
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怒鳴り合いの日々から抜け出すために私がやめたこと・始めたこと
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- 「勉強しろ」を言うのをやめた → 言えば言うほど逆効果だった
- スマホの監視をやめた → 管理は支配と同じだった
- スケジュール管理をやめた → 息子の自主性を奪っていた
- 「こうあるべき」を手放した → 「普通」を押し付けていた
- 息子の趣味を否定しなくなった → 料理・ギター・筋トレを認めた
- 「おはよう」「おやすみ」だけは続けた → 最低限の繋がりを維持
- 息子の前では泣かなくなった → 自分の部屋で泣くようにした
親がコントロールを手放した時、子どもは自分の力で立ち上がります。信じて待つのは怖いけれど、その先に必ず光があります。
親子関係の再生に役立った通信講座
「口出ししなくていい」学習方法を探している方は、おすすめ通信講座5選をご覧ください。
反抗期の子に「見守る勉強法」を
私の場合——口出しをやめることが一番難しかった。やめたつもりでも、気づくと口を出してしまう。完全にやめきれたとは、今でも思っていません。
口出しゼロで成績が戻った教材の詳細はこちら
今は基本的に学校に通えるようになって、たまにぽつぽつ休む日もあります。完全に毎日通えているわけではない。でも、あの頃とは全然違う景色の中にいます。
みっこの本音——崩壊しかけた先に
親子関係が壊れかけた日々のことを、たまに思い出します。あの頃の自分に「大丈夫」と言ってあげたいけど、当時の私はたぶん信じなかっただろうなぁ。
崩壊しかけた先に、再生がありました。ただし完全な再生ではなく、形を変えた関係です。それでいいのだと、少しずつ思えるようになってきました。
- 反抗期×不登校は親の「管理」が逆効果。監視・強要・スケジュール管理は支配と同じ
- 「せっかく」の裏側は「取引」だった——無意識の期待が関係を壊す
- 管理を手放した時に家の空気が変わった。ギターの音、開いたドア、「ママ、行ってくるね」
- 食卓で一緒にご飯を食べられる日常が戻ってくる。偏差値も進路も、そこに並ぶ
- 親がひとりで抱え込まない。市の相談窓口は無料、「お母さん、頑張ってるね」の一言で明日一歩進める
- 3冊の本(田中茂樹/佐々木正美/草薙龍瞬)が「管理をやめる」決断を支えた


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