私立中学校を退学し、地元の公立中学校に転校した息子は、2日間だけ登校して、そのまま学校に行かなくなりました。
1学期の間、ずっと部屋に閉じこもっていた息子。私は「もう二度と学校には行けないかもしれない」と覚悟していました。
でも、転校先の吉岡先生(仮名)の段階的な支援のおかげで、息子は少しずつ学校に足を運ぶようになり、最終的には中学3年生で自力で教室に通えるようになりました。この記事では、保健室登校から教室復帰までの具体的な過程をお話しします。
転校初日から2日で不登校に戻った理由
中学2年生の春、息子は私立中学校を退学して地元の公立中学校に転校しました。同じ小学校出身の友達が何人か通っていたので、息子も最初はやる気がありました。友達に「どうしたら友達できるかな?」と相談するほどでした。
学校側も配慮してくれて、家が近い小学校の同級生と同じクラスにしてくれました。ただ、4月の途中からの転入だったため、すでにグループができあがっていたのかもしれません。
2日通って、3日目から息子は学校に行かなくなりました。明らかに朝起きていても学校に行こうとしないので、起立性調節障害の症状ではなく心の問題だと分かりました。難関私立から公立への転校は、息子のプライドにとって受け入れがたいものだったのだと思います。
1学期は完全な不登校|何もできなかった期間
1学期の間、息子は完全に不登校でした。食事も家族とは取らず、自分の部屋に閉じこもっていました。前に通っていた私立中学校の友達に会えなくなったことが、相当ショックだったようです。
この時期、私は何もできませんでした。声をかけても返事がない。無理に部屋に入ろうとすると怒鳴られる。ただ、吉岡先生が「無理に学校に来させなくていい」と言ってくれたことが、私自身の救いでした。
前に通っていた私立中学校の先生は、不登校になった息子に一度も接触しようとしませんでした。でも吉岡先生は「1週間休んでいるので顔を見に行っていいですか?」と連絡をくれました。その違いだけでも、転校してよかったと思えました。
再登校のきっかけ|週1回のプリント取り
2学期に入る前、吉岡先生から提案がありました。
いきなり授業に出るのではなく、先生のところにプリントを取りに行くだけ。滞在時間はわずか10分。他の生徒に会わない時間帯を選んでくれました。
息子が出した条件は1つだけ。「不登校の話や前の学校の話をしないこと」。吉岡先生はその条件を守り、プリントを渡しながら「最近何して遊んでるんや?」と雑談をするだけ。
たった10分でしたが、吉岡先生はそれを「遅刻扱い」にしてくれました。出席日数としてカウントされる。これは後の高校受験で大きな意味を持ちました。
保健室登校への移行|30分から始めた
週1回のプリント取りを何週間か続けた後、三者面談がありました。保健室の先生も同席してくれました。
面談の内容は驚くほど穏やかでした。「家で何やってるんや?退屈じゃないか?」とフランクに話してくれて、「友達と遊びに行っていいから、少しでも外に出て気晴らしするんやぞ」と。勉強しろとは一言も言わず、息子の心が元気になることを最優先にしてくれていました。
そこで吉岡先生が提案したのが「週1回、30分だけ保健室で好きなテキストを持ってきて勉強してみないか?」ということ。
息子は承諾し、保健室登校が始まりました。最初は30分で帰ってきましたが、その30分でやったプリントの科目には「ハイフン(判定不能)」ではなく「1」の数字がつきました。
面談の後、息子がこう言ったのが印象に残っています。
威圧的に怒鳴る前の学校の先生とは全く違う対応に、息子は学校と教師に対する信頼を少しずつ取り戻していきました。
2学期|週2日の登校へ
保健室登校を続けるうちに、息子は2学期から週に2日ほど学校に行けるようになりました。
授業中に寝てしまうこともありましたが、吉岡先生は怒りませんでした。起立性調節障害があることを伝えると「そんなもの飲んで体に悪くないの?」と起立性の症状を和らげるために飲んでいたカフェインの薬のことを心配してくれたほどです。
前の学校では「授業中に寝ている=やる気がない」と叱責されましたが、公立の先生は「こんなに寝れるなんて大丈夫か?夜寝れないんか?」と心配してくれました。息子もこの学校では「悪い子」として扱われないんだと安心したのだと思います。
中学3年生|自力で教室に通えるようになった
中学3年生になると、息子は自力で学校に通えるようになりました。
劇的な変化があったわけではありません。プリント取りから保健室登校、保健室から教室へ。半年以上かけて、ほんの少しずつ学校との距離を縮めていった結果です。
中学3年生の始業式の前夜、息子は「明日は絶対に学校に行く。寝たら朝起きれないかもしれないから徹夜する」と言って、深夜まで起きていました。眠くなると「朝日を見てくる」と言って自転車で近くの山に向かった息子。しばらくして「自転車の鍵をなくして帰れなくなった」と連絡が来て、普段あまり頼らない私の親に迎えを頼んだこともありました。
不格好でも、学校に行きたいという気持ちが本物だったことは確かです。
私の場合——吉岡先生に出会えたのは、本当に運が良かったと思います。前の学校では「うちはこういうので特別扱いしない」と言われたのに、転校先では「まずプリント取りに来るだけでいい」と言ってもらえた。学校が変わるだけでこんなに違うのかと、愕然としました。
再登校がうまくいった3つの要因
1. 子どもの心の準備を待った
1学期の完全な不登校期間は、辛かったけれど必要な時間でした。無理に学校に行かせようとしなかったことで、息子は自分のペースで心を休められた。「行きたくなったら行く」という選択権が息子にあったことが大きかったと思います。
2. 段階を細かく刻んだ
いきなり「教室に戻りなさい」ではなく、10分のプリント取り→30分の保健室→週2日の教室→毎日の登校と、半年以上かけて段階を上げていったこと。1段飛ばしをしなかったのが良かった。
3. 信頼できる先生がいた
吉岡先生の存在は本当に大きかった。不登校の話をしないという条件を守り、雑談だけで息子との信頼関係を築いてくれた。「この先生なら大丈夫」と子どもが思えることが、再登校の最大の鍵だったと思います。
もし担任の先生との相性が良くない場合は、保健室の先生やスクールカウンセラーなど、子どもが安心できる大人を見つけることが大切です(相談窓口についてはこちら)。
再登校した後に気をつけたいこと
保健室登校から教室に戻れた時、正直ホッとしました。でもそこがゴールではなかった。再登校した後にも、親が気をつけておくべきことがあると感じています。
- 学校との約束は、親が守らせる側に立つ:「1時間だけ」と決めたなら、先生に「もう少しいけそうです」と言われても、最初の約束を優先する。約束を破ると、子どもの学校への信頼が一気に崩れます
- 先生の何気ない一言に注意する:「この教科はみんな嫌でも受けてるよ」のような正論が、復帰したばかりの子を再び折ってしまうことがあります。事前に担任と「言わないでほしいこと」を共有しておくだけで、リスクは減ります
- 回復のサインを見逃さない:「ヒマ〜」と言い出したり、昼夜逆転が自然に戻ったり、自分から外出するようになったら、回復が進んでいるサインです。焦って次のステップを急がないでください
再登校後の不安や、再発を防ぐために親ができることは、改めて別の記事で詳しく書く予定です。
再登校がうまくいかない時のために
息子の場合は再登校できましたが、全ての子がこのルートをたどるわけではありません。
もし学校に戻ることが難しい状況が続くなら、学校以外の学びの場を考えるのも一つの選択肢です。息子も中学3年生で通信講座を始めて高校受験の勉強をしました。学校に通えない期間の学びの遅れは、後からいくらでも取り戻せます(その体験はこちら)。
大切なのは、学校に戻ることだけがゴールではないということ。子どもが安心して過ごせる場所で、少しずつ自信を取り戻していくこと。その先に、子ども自身が「次はこうしたい」と動き出す日が来ると、私は信じています。
みっこの本音——2日で不登校に戻った日から
転校して2日で不登校に戻った時は、本当に絶望しました。「もうどこに行ってもダメなのか」と。でもそこから半年以上かけて、プリント取り→保健室→教室と少しずつ進んでいった。焦りたくなる気持ちを飲み込んで、10分ずつ積み上げていった日々。しんどかったけど、あのペースが息子には合っていたんだなぁ。
- 私立退学→公立転校→2日で不登校に。1学期完全な不登校から保健室登校→教室復帰までの記録
- 吉岡先生の段階的プラン:週1プリント取り(10分)→保健室登校(30分)→週2日通学→自力登校
- 息子の条件は「不登校の話と前の学校の話をしないこと」。先生は最後まで守ってくれた
- 10分のプリント取りでも「遅刻扱い」で出席日数カウント。高校受験に大きな意味
- 再登校のカギは「先生の対応」と「無理させない段階設計」。叱責型の学校では再登校は難しい


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