【実話】中学受験で難関校に合格した息子が不登校になった話|親として経験したすべて

中学受験で合格した息子が不登校になった話のアイキャッチ画像 私たちの体験談

「中学受験に合格すれば、明るい未来が待っている」

そう信じて3年間の受験勉強を乗り越えた私たち親子。でも現実は、合格がゴールではなく苦しみの始まりでした。

この記事では、中学受験で難関私立中学に合格した息子が、入学後に起立性調節障害を再発し、不登校になり、さらにADHD(注意欠如・多動症)の疑いにも直面しながら、最終的に退学を経て高校合格にたどり着くまでの全てをお話しします。

同じように悩んでいるお母さん、お父さんに「あなたは一人じゃない」と伝えたくて、この記事を書きました。

中学受験〜合格までの日々

私はシングルマザーです。息子が幼稚園の時に離婚しました。

離婚してから、息子の教育費は全て私が背負いました。中学受験の3年間だけで300万円以上、私立中学の学費や塾代も含めると4年間で400万円以上を教育に注ぎ込んでいたことになります。個別塾は1時間8,000円。シングルマザーの私には途方もない金額でしたが、「この子の将来のためなら」と自分を奮い立たせていました。

私の母方の親族はほぼ全員が医師です。叔父も叔母も従兄弟も、当たり前のように医学部に進み、医師になっていきました。そんな環境で育った私にとって、「子どもを医者にすること=親としての務め」という考えは、もはや信念というより強迫観念に近いものでした。

息子は幼い頃から「僕、大きくなったらお医者さんになる」と言っていました。今思えば、あれは本心だったのでしょうか。幼いながらに母親の期待を肌で感じ取り、私を喜ばせるために言ってくれていたのではないか——そう思うと、胸が締め付けられます。

でも当時の私はその言葉を真に受けて、「この子は医者になりたいんだ」と確信し、医学部を目指せる中高一貫校に入れることが息子の幸せにつながると信じて疑いませんでした。

息子は大手塾の上位クラスに在籍し、3年間の厳しい受験勉強を乗り越えました。「〇〇中学に入りたい」という目標を持ち、私が出した課題も全てこなす頑張り屋でした。

過酷さを増していく受験生活

小4から始まった中学受験の勉強は、学年が上がるにつれてどんどん過酷になっていきました。

小6の夏を迎える頃には、土日は朝から晩まで塾に9時間滞在して勉強するのが当たり前の生活。平日も学校が終われば塾へ直行。遊ぶ時間なんてほとんどありませんでした。

それでも息子は歯を食いしばって机に向かい続けていました。根が真面目で負けず嫌い。「ここまでやってきたんだから絶対に受かりたい」——その気持ちが、日に日に息子の中で大きく膨らんでいくのが分かりました。

でもある日、ふと息子がこう漏らしたのです。

「受験、落ちたくないよ」

「受かりたいよ……怖いよ」

まだ小学生の子どもが、「怖い」と言っている。その言葉を聞いた時、胸がぎゅっと締め付けられました。頑張れば頑張るほど、失敗した時のことが怖くなる。10歳そこそこの子どもが、そんな恐怖と毎日戦っていたのです。

でも私は、その時の息子の心のSOSに気づいてあげられませんでした。「大丈夫、あなたなら受かるよ」と励ますことしかできなかった。今思えば、あの頃からすでに息子は体力的にも精神的にも限界に近づいていたのだと思います。

小6の11月、起立性調節障害を発症

そして小6の11月——受験本番まであとわずかというタイミングで、ついに息子の体に異変が起きました。起立性調節障害の発症です。

朝、どれだけ起こしても起きられない。午前中はぐったりして動けない。3年間必死に積み上げてきたものが、ここにきて崩れ落ちそうでした。

病院で医師にこう言われました。

「過度なストレスが引き金になって発症した可能性が高いです」

その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になりました。——私が受験を続けさせたから、この子の体が壊れたんだ

小学4年生からの3年間。毎日何時間も勉強させて、土日も9時間塾に通わせて、テストの成績に一喜一憂して。あの過酷な生活が、まだ10歳の小さな体を蝕んでいたのかもしれない。後悔が津波のように押し寄せてきました。

本来なら、ここで受験を辞めさせるべきだったのかもしれません。息子の体が最優先なのは分かっていました。

でも——小4から3年間、遊びたい盛りの時期を全て犠牲にして頑張ってきた息子に、あと2ヶ月というところで「辞めなさい」と言えなかったのです。

息子自身も、泣きながらこう言いました。

「辞めたくない。ここまで頑張ってきたのに、辞めたくない」

3年間の努力を知っているからこそ、その言葉を否定できませんでした。私は受験を続けさせる判断をしました。午前中の学校や塾は休みがちになりましたが、体調が比較的良い時間帯に勉強を続け、なんとか受験勉強を維持しました。

模擬試験や本番の入試では、試験中に眠ってしまうことがありました。それを防ぐために、小学6年生の息子にカフェインを摂取させて試験に臨ませる——そんな自分が、本当に母親として正しいのか。何度も何度も自問しました。

「この子の体を壊しているのは私じゃないか」「でも、辞めたくないと泣いているのに親が止めていいのか」——答えの出ない葛藤が、受験が終わるまでずっと胸の中で渦巻いていました。

そして、見事難関私立中学に合格。合格発表の日、息子と抱き合って泣きました。3年間の全てが報われた気がして、あの瞬間だけは世界で一番幸せでした。

受験が終わると、不思議なことに起立性調節障害の症状はおさまっていきました。「ああ、やっぱり受験のストレスが原因だったんだ。もう大丈夫だ」と、私はホッと胸をなでおろしていました。

でも、本当の試練はここから始まったのです。

入学後、起立性調節障害が再発

受験後におさまっていたはずの起立性調節障害が、中学に入学して再び襲いかかりました。

入学してわずか1週間。朝起きられない、昼を過ぎてもしんどい日が続き、学校に行けなくなりました。

「受験が終われば治る」と思っていたのに、なぜ——。あの時、無理をさせて受験を続けさせたことが、息子の体に取り返しのつかないダメージを与えてしまったのではないか。私のせいでこうなったのではないか。その罪悪感は、今でも完全には消えていません。

せっかく入った学校で友達の輪ができる前に、なんとか行けるようにしてあげたい。色んな病院に行き、医師に相談し、投薬治療も行いました。でも効果はありませんでした。

藁にもすがる思いで、フリースクールも調べました。しかし、近所のフリースクールは月4万円。シングルマザーの家計には、とてもじゃないけど手が出ませんでした。

ネットで見つけた不登校の専門家にも連絡を取りました。「実際に息子さんに会って話をしたい」と言われ、大人2名分の新幹線代と相談料で5万円以上。それでも息子の心が少しでも楽になるなら——と覚悟を決めかけましたが、当の息子は「知らない人になんで自分の話をしなくちゃいけないの?」と、会おうともしませんでした。お金の問題以前に、息子の心の壁は私が思っていた以上に高かったのです。

追い打ちをかけた教師の厳しい指導

学校に行けなくなった理由はもう一つありました。

入学してまだ数日。忘れ物をしたという理由で、先生がクラス全員の前で息子を怒鳴りつけたのです。

まだ誰とも仲良くなれていない、名前も覚えてもらえていないような時期。そんな中で教室中に響き渡る声で叱られた恥ずかしさと恐怖は、12歳の息子にとって計り知れないものだったと思います。

起立性調節障害がおさまりかけて通学を再開した後も、その先生の授業だけは1学期の間ずっと教室に入ることができませんでした。あの日の恐怖が、息子の中にこびりついて離れなかったのです。

授業についていけない→悪循環の始まり

1学期の終わり頃には学校に行けるようになりましたが、私立中学の勉強進度は非常に速く、すでに授業についていくことができない状態でした。

先生は「質問に来るように」と言うけれど、職員室に1人で行く勇気もない。新しい環境で友達を作りたいという思いが強く、「勉強を頑張る」より「友人作り」に力を注いでしまいました。

この頃から、私は息子の様子に違和感を覚え始めていました。授業のノートを見ると2行ほど書いてあとは白紙。家で勉強を始めても、すぐに近くにある物をいじり始めて全く集中しない。忘れ物も異常に多く、財布や鍵を何度もなくしました。

「中学生男子なんてこんなものかな」と最初は思っていましたが、先生から他の生徒との違いを聞かされるたびに、ただの反抗期では説明がつかない何かがあるのではないかと感じ始めていたのです。

先生から見ると、成績は悪いのに友達とは遊んでいる。問題が解けないので提出物も出さず、毎日怒られる日々が続きました。

学校からの呼び出しと、壊れていく私

友達とふざけてスマホでちょっとしたきつい言葉を書いただけで、私は学校に呼び出されるようになりました。

その学校は生徒のLINEの内容を細かくチェックしていて、些細なことでも親が呼び出される。しかも当日に「1時間後に来てください」と。

いつ電話が来るかわからないので、トイレにもスマホを持っていく生活。精神的に追い詰められていきました。

私は息子のスマホを厳しく監視するようになりました。使用時間の制限、LINEの内容をPCでチェック、位置情報の監視…。

学校から「このままだと2年生に上がるのは厳しい」と告げられ、勉強面でもガミガミ言うようになりました。同じ学校のママ友に提出物を確認し、スケジュールを立てて息子にやるよう言い続ける。中学受験の時と同じ感覚で勉強を強要してしまったのです。

追い詰められた私は、市が実施している発達障害の相談窓口を訪ねました。担当の方はとても親身に話を聞いてくれて、最後にこう言ってくれたのです。

「お母さん、1人でよく頑張ってきましたね」

その瞬間、滝のような涙がこぼれ落ちました。夫がいれば愚痴を言えたかもしれない。でも私はずっと1人で抱え込んでいました。高齢の両親に心配をかけたくなくて、相談することすらできなかった。誰かに「頑張ってるね」と認めてもらえたのは、離婚してから初めてのことだったのです。

親子関係の崩壊

小学生の頃は目標を持って必死に受験勉強をこなしていた息子。でも、中学で勉強についていけず意欲を失った息子に勉強を強要するのは、結果的に間違いでした。

自我が芽生えた息子への対応がわからず、怒鳴り合いの喧嘩を毎日するようになりました。

息子は家から飛び出したり、物を蹴ったり、反抗期が激しくなる一方。そして私はうつ病を発症しました。

離婚してから医学部の学費を稼ぐために必死で仕事をしてきた私。「息子を医者にすれば安泰で幸せになれる」と思い込んでいました。でも、心身ともに限界でした。

「もしかしてADHD?」——息子の行動に名前がついた瞬間

反抗期の激しさに悩む中で、私はあることに気づきました。

何度言っても「電気消してね」「鍵閉めてね」ができない。人の話を最後まで聞けず、指示を聞き漏らす。部屋は足の踏み場がないほど散乱し、片づけても3日で元通り。学校の参観日には、息子の机だけが教科書とプリントでギューギューにはみ出していて、恥ずかしくて私が慌てて片づけると、周りのお母さんに笑われてしまいました。

先生からは「この課題を提出していないのは数百人の生徒の中でお子さんだけです」と言われたこともあります。たった2文字の習字を書くだけの課題なのに、何度促されても最後まで出さなかった。なぜ数分で終わることすらできないのか、不思議でたまりませんでした。

ネットで調べるうちに、ADHDの「不注意型」の特徴が息子にぴったり一致していることに気づきました。集中力が続かない、忘れ物が多い、整理整頓ができない——全部、息子のことだと鳥肌が立ちました。

病院を探し回りましたが、発達障害の診断は2〜3ヶ月先と言われ、すぐには受けられない。結局、今もはっきりした診断は出ていない「グレーゾーン」のままです。ただ、医師である親戚は「何かしらの発達障害は多少あるかもしれない」と言っていました。

私自身はADHDに対して悪いイメージはありません。むしろ、やりたいことを見つけた時に人一倍の力を発揮する特性だと思っています。ただ、この特性のせいで学校という「普通の枠」に収まれず、息子が生きづらい思いをしないか——それだけが心配でした

担任からの心ない言葉と退学勧告

追い打ちをかけるように、担任の対応は想像を超えるものでした。

ある日、息子が帰宅して小さな声でこう言いました。

「先生に『お前1人のために俺の時間を使わせるな。迷惑なんだよ』って言われた」

さらに、クラスメイトの前で大声でこう怒鳴られたこともあったそうです。

「俺はお前のことを一切信用していない。お前の言うことは何一つ信じない」

まだ中学1年生の子どもに向かって、大人が——しかも本来守るべき立場の教師が、こんな言葉を浴びせる。息子は家に帰ってきてもその言葉を繰り返し呟いていました。「信用していない」という言葉が、どれほど子どもの心をえぐるか。想像するだけで胸が張り裂けそうでした。

そして次第に、退学を迫る発言がエスカレートしていきました。

面談の場で、息子の目を見ながら冷たく言い放ちました。

「お前は勉強もしない、授業中は寝る、友達と遊ぶことしか頭にない。この学校はお前みたいなやつが来るところじゃない。さっさと公立に行け」

それでも息子が辞めたくないと言い続けると、先生の口調はさらに冷酷になりました。

「次、赤点を1つでも取ってみろ。その時は自分から身を引け。お前がこの学校にいる意味はもうない」

これはもう指導ではありません。大人による精神的な追い詰めでした。

しかし、その先生には退学勧告を出す権限など一切なかったのです。私が教頭先生に確認したところ、担任が退学を迫っていること自体知らなかった。退学を勧める権限のない一教師が、独断で息子に退学を迫っていたのです。

息子は「友達がいるから辞めたくない」と言い続けていました。だから私はボイスレコーダーを忍ばせて先生との面談に臨み、発言を全て録音しました。息子を守るために、学校と戦う覚悟を決めたのです。

しかしこの頃、息子の衝動的な行動も問題になっていました。期末テスト期間中に私と喧嘩をしたことがきっかけで、息子が衝動的に学校を脱走してしまったのです。先生たちは「生徒が行方不明になった」と探し回り、後日校長先生宛てに詫び文を書かされました。校長先生は「衝動的に学校を抜け出すなんて当校始まって以来初めてだ」と驚いていました。起立性調節障害に加え、ADHDの衝動性も絡み合って、息子はどんどん追い詰められていきました。

息子の決断「もうこの学校は諦める」

1年の終わりの春休み、膨大な課題をこなすことができず、「これを提出しないと赤点になって学校を辞めさせられる」と夜遅くまで勉強する日が続きました。

そしてついに、心が折れたように息子は言いました。

「もうこの学校は諦める」

「分かった。よく頑張ったね。」と私は答えるしかありませんでした。

息子は1日放心状態で、ベッドで三角座りをしてボーッとしていました。大好きだった友達に連絡を入れたのは3日後。1人1人に「学校を辞めることにした。今までありがとう。お前とはこんなことしたよな。楽しかった。」と丁寧にメッセージを送っていました。

それを見た時、心が締め付けられました。

実は、私の中学時代にはその学校は自由で伸び伸びした校風でした。だから息子にも勧めた。でも数年前に学校の方針が変わり、進学実績を重視する厳しい学校になっていたのです。そのことを知らずに息子に勧めてしまったことを、酷く自責しました。

公立中学に転校→2日で不登校

地元の公立中学に転校した息子。同じ小学校の友達が数名通っていて、「どうしたら友達できるかな?」と前向きでした。

しかし、転校して2日で不登校になりました。前の私立中学とはまるで雰囲気が違う公立中学に馴染めなかったのです。

1学期の間、まるで魂が抜けたかのようにボーッとする息子。大好きだった友達に会えなくなったショックは相当大きかったようで、食事も家族と取らず自分の部屋に閉じこもっていました。

私は毎日自分を責めて泣いていました。息子の顔色を伺う日々。あんなによく笑う子だったのに、笑顔が完全に消えていたのです。

学校説明会や体育祭のたびに、会場には夫婦で来ている家族ばかり。1人でぽつんと立っている孤独感は、想像以上に堪えました。

ある年の体育祭——息子が「来なくていい」と言ったのを真に受けて、行きませんでした。後日、友人から「息子くん、応援団やっててかっこよかったよ」と聞いた時、後悔で胸が張り裂けそうになりました。息子の晴れ姿を見られる機会は、もう数えるほどしか残っていなかったのに。

公立中学の先生との三者面談

それでも、公立中学の先生の対応には救われました。いきなり三者面談ではなく、まず週に1回プリントを取りに行くところから始めましょうと提案してくれたのです。他の生徒に会わない時間帯を考慮してくれたので、息子も「プリント取りに行くだけなら」と抵抗なく学校に足を運べるようになりました。

面談の日、先生は息子にフランクに声をかけてくれました。

「退屈じゃない?遊びに行っていいんやぞ」

家でひとり孤独に過ごしていないかと心配してくれる先生でした。この人なら息子に寄り添ってくれる——私はようやく安心できたのです。

少しずつ戻り始めた「日常」

何もやる気が起きない。食べない、動かない、喋らない——そんな無気力な日々がしばらく続きました。

でも2学期に入る頃、息子に小さな変化がありました。

「……他の人と同じような生活をしないと」

誰に言われたわけでもなく、息子自身がそう思ったようでした。2学期から、ぽつぽつと通学を始めたのです。

でも、学校から帰ってくると時々ふさぎ込むことがありました。前の学校の友達のことを思い出すと、どうしても辛くなるようでした。

「あいつらに会いたい……でも会えない」

そうぽつりと漏らす息子の横顔を見るたびに、私は胸が張り裂けそうでした。あの学校を勧めたのは私。辞めることになったのも、元をたどれば私の判断が招いたこと。息子から大切な友達を奪ってしまったのは、私なのではないか——その思いがずっと消えませんでした。

それでも息子は学校に通い続けました。最初はただ席に座っているだけのような日もあったと思います。でも少しずつ、新しいクラスメイトとの会話が増えていきました。友達からの遊びの誘いも、ぽつぽつと入るようになっていきました。

勉強面は、前の学校とは求められるレベルが違うので、息子にとっては気持ちが楽だったようです。課題に追われることもなく、無理に勉強を強要されることもない。あの頃の息子には、その環境がちょうど良かったのかもしれません。

そうして少しずつ新しい環境に馴染んでいった息子に、笑顔が戻り始めたのです。

3学期を過ぎた頃、息子がふとこう言いました。

「……転校して良かったかも」

何気ない一言でした。でもその言葉が、私にとってはどれほど救いだったか。

あの学校を辞めさせたことは正しかったのか。公立に転校させたことは間違いじゃなかったか。ずっとずっと自分を責め続けていた私に、息子自身が「大丈夫だよ」と言ってくれたような気がしました。

その夜、息子が寝静まった後、私は1人で声を殺して泣きました。悲しいのではなく、ただただ安堵の涙でした。

通信講座との出会い、そして高校合格へ

中3になり、高校受験を考え始めましたが、集団塾の入塾テストに3つ受けて全て英語で不合格になりました。

1つ目の塾に落ちた時、息子は「英語なら仕方ないか……」とがっかりした顔をしていました。それでも集団塾に行きたかったようで、2つ目の塾の試験にも張り切って参加。「次こそ受かった?」と期待に満ちた表情で結果を聞いてくる息子に、不合格を告げるのが本当に辛かった。息子は「英語以外だけでも通えないの?」と聞いてきましたが、塾の規定で英語は必須科目。どうにもなりませんでした。

最後の望みをかけた3つ目の塾では、「半年間個別で英語をやってから集団へ」と言われました。息子は小さな声で「個別なら……諦める」と落胆した様子で言いました。中学受験の時は大手塾の上位クラスにいた子が、高校受験の集団塾にすら入れない。その現実が、息子の心をどれほど傷つけたか。

中学受験の時は大手塾で上位クラスにいた息子。地頭はいいはず。でも「今さら頑張っても間に合わない」と悲観的になっていました。

そんな時、ふと「オンラインで学べないか」と思い検索したところ、通信講座の存在を知りました。正直、通信講座と聞くと古臭いイメージしかありませんでした。でも実際に調べてみると、AIをフル活用した最先端の学習ツールに進化していて驚きました。

しかし、調べれば調べるほど種類が多く、何を基準に選べばいいのかさっぱり分かりません。夜中に1人でスマホを検索し続ける日が何日も続きました。

  • AIが苦手分野を分析して個別に最適化してくれる
  • 中1の内容からやり直せる
  • 自分のペースで学習できる
  • 月額数千円で家計にも優しい

「学校や塾で大勢向けのわからない授業を聞くより、この子にはこっちが合っている!」そう思った時、久しぶりに心が明るくなりました。

Z会のお試し教材を取り寄せてみましたが、息子は30分で投げ出してしまいました。やはり難関校向けの教材はこの子には合わない。そんな時、ふと思い出したのが幼稚園の時にやっていた進研ゼミでした。あの頃の親しみやすさが記憶に残っていたのかもしれません。シングルマザーで経済的に余裕がなかった私にとって、月額約8,000円という価格も大きな決め手でした。

息子は友達と遊ぶ時間を優先しながら、空いた時間にタブレットで勉強するようになりました。

この頃、息子の意外な一面に気づくようになりました。お誕生日祝いに焼肉屋に連れて行った時、息子がふと「ママ、お金大丈夫なの?」と聞いてきたのです。靴屋ではずっとウロウロしていると思ったら、「半額セールのを探してる」と言って定価の靴を買おうとしない。ニキビが気になるから病院に行こうと言ったら「いいの?お金かかるよ?」。医療費補助で500円だよと教えたら、「じゃあ行く!!」と目を輝かせていました。

母親が必死に働いている姿を、息子はずっと見ていたのです。反抗期で散々ぶつかり合っていても、心のどこかで私のことを気にかけてくれていた。その優しさに気づいた時、涙が止まりませんでした。

そして私も前の失敗を反省し、「勉強しろ」と言わないように心がけました。すると不思議なことに、息子の反抗期は収まっていったのです。

以前は部屋に入っただけで怒鳴っていた息子が、「こんな料理作ったけど食べてみて」と持ってくるようになりました。

ガミガミ言わない方が勉強意欲も損なわれないようで、息子は自主的に勉強するようになり、結果的に志望高校に合格。今は無理のないレベルの高校で、問題なく通えています。

今、同じ悩みを持つあなたへ

不登校になった時、「この子の人生は終わった」とすら思いました。でも、そうじゃなかった。

  • 不登校でも高校受験はできます
  • 起立性調節障害でも学習は続けられます
  • ADHDの特性があっても、その子に合った学び方は必ずあります
  • 通信講座は不登校の子にとって本当に有効です
  • 無理に勉強させるのは逆効果です
  • 子どものペースを尊重することが、一番の近道です

最近、高校生になった息子がふとこう言いました。

「お母さん、俺、医者は本当になりたい仕事じゃなかったんだと思う。自分が本当にやりたいことを見つけたい」

その言葉を聞いた時、驚きよりも安堵が込み上げてきました。小さい頃から私の顔色を見て「医者になりたい」と言っていたあの子が、ようやく自分の人生を自分の言葉で語り始めたのだと。

偏差値の高い学校に入ること、医者になること——私が息子の幸せだと信じ込んでいたものは、結局、私自身の安心のためだったのです。息子の幸せは、息子自身が決めるもの。不登校と反抗期という長いトンネルを抜けて、ようやくそのことに気づけました。

あの頃は1人で部屋にこもり、食事も別々だった息子が、今は一緒に食卓でご飯を食べてくれます。何気ない日常のことなのに、隣で息子がご飯を食べている——それだけで胸がいっぱいになる自分がいます。母親として未熟だった私を、息子が成長させてくれたのだと感じています。

あの時の私と同じように、今まさに悩んでいるお母さん。大丈夫、道はあります。

このサイトでは、私たちの経験をもとに、不登校のお子さんの学習方法や高校受験について情報を発信していきます。少しでもお役に立てたら嬉しいです。

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