中学受験を息子に勧めて後悔した話|学校選びで失敗したシンママの本音

記事ID:880 中学受験を息子に勧めて後悔した話 アイキャッチ(caseE版) 私たちの体験談

「中学受験に合格すれば、この子の将来は安泰だ」

そう信じて息子に受験を勧めたのは私でした。結果、息子は難関私立中学校に合格しました。でもその先に待っていたのは、不登校、退学、そして親子関係の崩壊です。

この記事では、なぜ私が息子に中学受験を勧めたのか、どこで判断を間違えたのかを正直に書きます。受験そのものを否定するつもりはありません。ただ、私と同じ後悔をするお母さんが一人でも減ってほしい——その思いで綴ります。

勝手に人の子の将来を、不登校が原因で終わったと決めつけないでほしい。親の不安と焦りが子どもの状態をさらに悪化させることを、私は身をもって学びました。

中学受験を勧めた理由|内申点が取れない地域に住んでいた

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みっこあの時の私の判断、今も後悔している。でも同じ後悔をする人を1人でも減らしたくて、正直に書くね。

私自身も30年前に中学受験を経験しています。その経験が、息子への受験勧めに影響していました。

私が息子に中学受験を勧めた一番の理由は、地元の公立中学校の内申点が異常に取りにくかったからです。

私が住んでいる地域は市内でも教育熱心な家庭が多く、塾に通わせるのが当たり前の地域。公立中学校の内申点はオール5を目指す子が当たり前で、小学6年生から英語塾に通い、先生の評価を上げるために授業外活動に積極的に参加する子も珍しくありませんでした。

私が小学生の頃からこの地域は「内申点が取りにくい」と有名で、他の中学でトップレベルの子が転校してくると平均以下になると言われるほどです。

私の両親も「中学は伸び伸びと勉強以外のことを楽しませてあげたい」という方針で、兄・私・弟の3人とも中学受験を経験しています。私にとって中学受験は身近な選択肢でした。

先述した通り、私自身も30年前に中学受験をしています。そして全落ちしました。

試験中にパニックになり、涙を堪えるのに必死だったことを今でも覚えています。全ての結果が不合格だと知った時、辛いというより恐怖に近い感情でした。唯一受かったのは、震災で試験日がずれた学校。私が38度の熱を出しながら個室で受験して、なんとか合格しました。

もともと行く予定のなかった学校でした。母にも「校風があなたに合っていないから辞めておいたら?」と言われていました。でも中学受験をすることはみんなが知っている。不合格のまま地元の中学に行くのが恥ずかしくて、その学校に入学を決めました。

結果、母の言う通り校風が合わず、学校から怒られる毎日でした。

こんな経験をしておきながら、私は息子にまったく同じ失敗をさせてしまったのです。「偏差値よりも校風や居心地の良さ」を重視すべきだった——30年前の自分が身をもって学んでいたはずなのに。

この経験があったから、息子には「受験で辛い思いをさせたくない」という気持ちと、「でも受験の経験は絶対に無駄にならない」という確信の両方がありました。結局、私は自分のトラウマを息子に投影していたのかもしれません。

だから息子にもこう言ったのです。

「中高一貫校に入れば、中学の間は受験勉強をしなくていいよ。副教科で内申点5を目指す必要もない。今3〜4教科の勉強をするだけで受験できるけど、公立に行ったら毎日副教科も頑張らないといけない。中学のうちに受験した方があとあと楽だよ」

息子はその言葉を信じて、受験を決意しました。

息子が「お医者さんになる」と言い続けていたことも、受験勧めの後押しだった

息子は幼稚園年長の頃から「お医者さんになる」と言っていました。小学校のプリントにもそう書いていて、子どもの夢はころころ変わると思っていたのに、この夢だけは長く続きました。

小学校の卒業式では、全生徒・保護者の前で1人ずつ将来の夢を語る時間があり、息子はスーツ姿で前を向いて「僕の将来の夢は医者です」と堂々と宣言しました。

医師家系で育った私の影響もあったと思います。「お医者さんはいいよ」と日常的に話題にしていたので、本人は「そんなにいいならなりたい」と誘導に近かったのかもしれません。

それでも、小学校卒業式で堂々と宣言した息子の姿を見た私は、「この子の夢を応援したい。そのためにできる限りいい環境を用意してあげたい」という気持ちが強くなりました。難関校の受験を勧めた背景には、「医者になるためには勉強の質が高い学校がいい」という親としての願いもあったのです。

私の場合——今振り返れば、息子の夢を受け止めたつもりで、私の理想を重ねていた部分もあったと思います。

学校選びの失敗|「いい学校」は昔の話だった

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みっこ「学校のカラーは数年で大きく変わることがある」——これが一番伝えたい教訓です。弟の時代の印象で決めちゃダメでした。

息子に勧めた学校は、私の弟が実際に通っていた学校でした。

弟が在籍していた頃は、のんびりした校風で、生徒の個性を大切にする雰囲気の学校。「すごくいい学校があるんだよ」と息子に話すと、息子はその学校に憧れを持つようになりました。

でも——あとで知ったことですが、学校は数年前に方針を大きく転換していました。進学実績を最優先に掲げ、厳しい管理教育の学校に変わっていたのです。1年間で約30人が退学する(実際には退学を促される)学校になっていたことを、私は入学してから知りました。

もっと調べるべきでした。説明会に行っただけで「弟が通っていた学校だから大丈夫」と思い込んでしまった。学校のカラーは数年で大きく変わることがある——これは、私が一番伝えたい教訓のひとつです。

そして、もうひとつ。学校説明会の内容を鵜呑みにしないでほしいのです。

説明会では「多様性を大切にしています」「一人ひとりの個性を尊重します」と、どの学校も耳触りの良い言葉を並べます。でも実態は違うことがある。ついていけない子は辞めるよう促される——そんな現実を説明会で話す学校はありません。

後から聞いた話ですが、個別相談会に参加した友人が、入学者数と卒業生数に大きな差があることに気づいて質問したそうです。すると担当者は少し困った様子で、「うちの学校だけではないんですが、不登校の児童が増えている時代で、結局辞めていくんですよね……」と答えたそうです。

私が伝えたいのは、偏差値や説明会の印象だけでなく、「退学率」を意識して学校を選んでほしいということ。入学者数と卒業生数を比べれば、その学校がどれだけ生徒を最後まで面倒を見ているかが見えてきます。

受験勉強と入学後の現実|「受験が終われば遊べる」は嘘だった

受験勉強の3年間、息子は夏休みにどこにも連れて行ってもらえませんでした。学校の「夏の楽しい思い出」に息子が書いたのは、「塾のビルのローソンで好きなお弁当を選べたこと」。先生にそれを見せたら苦笑いされました。ある日息子が「夏休みどこも行ってないんだよ!せめてスーパーくらい行かせてよ!」と泣いた時、自分がどれだけこの子の子供時代を奪ってきたか思い知らされました。

息子と最後にプールに行った時の写真。受験が始まる前の夏の思い出

離婚してから、毎年欠かさず息子の大好きなプールに2人で行っていました。でも受験が始まってからは「塾を休んで遊びに行く」なんて選択肢は私の頭になかった。受験が終わればまた息子と出かければいい——当時はそう思っていたんです。

でも実際は叶いませんでした。受験が終わった先に待っていたのは、不登校と反抗期。一緒にプールに行くどころか、同じテーブルでご飯を食べることすらできなくなった。あの頃に戻れるなら、塾なんて休ませて息子と遊びに行けばよかった。この写真は息子と最後にプールに行った時のもの。宝物のように大切にして、今も部屋に飾っています。

中学男子には地味な色の弁当グッズがOKでした

中学男子OKな地味色のお弁当グッズ

キティちゃんのピックは息子に却下されました

息子に却下されたキティちゃんのピック

苦手ノートは15冊以上。暗記カードは何百枚。息子のためだと思っていたけれど、あれは私の不安を形にしたものだった。あのノートの重さは、私の不安15個分の重さだった。

息子がどうしても覚えられない範囲は「どうやったら覚えられるか」を私なりに工夫していました。たとえばこんな風に紙に書いてトイレに貼ったり。

トイレに貼った理科の暗記プリント

やり過ぎだと後で母に叱られました。正しいやり方ではなかったのかもしれません。でも息子のために何かやっていないと落ち着かない毎日だったのです。

実際に作った暗記カードの束です

実際に作った暗記カードの束

3年間の受験勉強を乗り越えて合格を勝ち取った息子。「もう勉強漬けの日々は終わった、これからは友達といっぱい遊べる」——息子はそう思っていたはずです。私がそう言って受験を勧めたのだから。

ところが入学してみると、学校は鬼のような勉強量を課してきました。息子の通っていた学校では、「受験がない分のびのびできる」どころか、大学受験に向けたカリキュラムが中学1年生からびっしり組まれていました。すべての中高一貫校がそうだとは限りませんが、あくまで私の実感として、近年偏差値をぐんぐん伸ばしていて、進学実績をやたらとアピールしている学校は、昔とは校風を変えて猛勉強型にシフトしている可能性があると感じています。もちろんこれは私個人の推測にすぎませんが、学校選びの際にはその視点も持っておいて損はないと思います。

受験でエネルギーを使い果たしていた息子は、勉強のスイッチが戻らなかった。「ママの言っていた話と全然違う」——その通りでした。私の見通しが甘かったのです。

受験さえ乗り気ればあとは楽になると思っていた息子は、遊ぶことを優先してしまいました。結果、学校からは「問題のある生徒」として扱われるようになっていったのです。

些細なことで呼び出される日々

男の子同士でふざけて、友達の写真を別の友達にLINEで送ったことがありました。中学生の男の子にはよくあることだと思いますが、学校はすぐに動きました。

電話が来たのは平日の夕方。「両親揃って学校に来てください」と言われました。内容は電話では話せないと。離婚していたので普段やりとりのない元夫にも連絡し、会社を抜けてきてもらいました。一体何が起きたのか。事件に巻き込まれたのか。とんでもないことが起きたのだと、2人とも青ざめながら校長室に駆けつけました。

ところが蓋を開けてみると、「プライバシーの侵害」として注意勧告——友達の写真をLINEで送った件でした。もちろん良いことではありません。でも正直、「……これだけのために両親揃って?」と拍子抜けしたのが本音です。さらに保護者から校長先生宛てに3日以内にお詫び文を提出するよう求められました。

仕事で忙しい中、必死で文章を書いたことを覚えています。後から聞くと、細かいことでも厳しく指導が入ることで保護者の間では有名な学校だったそうです。

※これは息子が通っていた学校の話です。私立中学校すべてがこうだと言いたいわけではありません。素晴らしい教育をされている私立もたくさんあります。

「辞めろと言うの?最低だね」|息子に言われた言葉

入学後、起立性調節障害が再発して学校に通えない日が増え、成績も落ちていきました。(起立性調節障害から不登校に至った経緯はこちらの記事で詳しく書いています)
私の場合——この言葉を息子から言われた日、私は台所のシンクの前でしばらく動けませんでした。

別の記事でも書きましたが、息子は担任から厳しい言葉を受け続けていました。「のらりくらりされると迷惑だ」「次に赤点を取れば身を引いてもらう」——そんな日々が続く中、学校側から退学を促されるようになったのです。

私の気持ちも揺れ始めていました。この学校であと2年、高校まで上がれたとしてもあと5年過ごすことが、本当に息子の幸せなのか。毎週のように呼び出される生活にも限界がきていました。

もし中学3年生で退学になれば、高校受験の対策が一切できていない状態。通信制高校か高卒認定しか道がなくなる。それなら中学2年生に上がるタイミングで転校して、2年間かけて高校受験に備えた方が道が広がるのではないか——そう考え始めていました。

ある日、息子に聞きました。「勉強がしんどかったら、公立に行ってもいいんだよ」

息子は激怒しました。

「中学受験しろって言っておいて次は辞めろって言うの?最低だね」

何も言い返せませんでした。息子の言う通りでした。受験を勧めたのは私。3年間必死に勉強させたのも私。それなのに、今度は辞めろと言う。息子の怒りは当然だったと思います。

結局、学校が出してきた条件——「課題は全部提出すること」「赤点を1つでも取れば退学」——を守り続ける自信がないと判断し、息子は自分で辞めることを選びました。(退学から公立転校、その後の不登校についてはこちらの記事に書いています)

合格した日、興奮して親戚にLINEを送りました。「やったーやったー!!!」と喜んでくれる親戚、「見間違いじゃないか」と信じられない兄。あの日のやり取りは今も残っています。

やったーと喜ぶ親戚のLINE

あんなに喜んでくれたみんなに、1年後に「退学しました」と伝えなければならなくなるなんて。あの時こんなに喜んでくれた人たちに、もう顔を合わせられないと思いました。

後になって知ったのですが、ママ友の間でこう言われていたそうです。「起立性で私立中学校に入れて結果退学なんて、かわいそう。こうなることは目に見えていたのに受験中断を選ばなかったんだね」と。その言葉は間違っていませんでした。起立性調節障害で私立中を辞めていく子は多いと、後から先生にも言われました。

受験前に学校側には配慮の有無を確認していました。保健室での受講や遅れたサポートはしっかりやると言ってもらえていた。でも入学後に待っていたのは「お前1人に時間をかけれないんや!」という叱責でした。配慮があると聞いていた学校で、実際には「手のかかる子」として扱われていたのです。

滑り止めの学校にしておけば……という後悔

受験の時、滑り止めで合格していた別の学校がありました。見学に行った時、先生方がとても親身で手厚い印象の学校でした。

息子が退学することになった時、真っ先に思ったのは「あの学校にしておけば、こんな思いをさせずに済んだのに」ということです。

偏差値が高い学校=いい学校、ではなかった。子どもに合う学校=いい学校だったのです。後からADHD不注意型の特性があるかもしれないと分かった今、なおさらそう思います。管理の厳しい環境より、個性に寄り添ってくれる環境のほうが息子には合っていた。

あの頃、夜になると同じ考えが頭の中で止まらなくなっていました。「あの学校じゃなかったら」「滑り止めの学校にしていたら」「そもそも受験をさせなければ」——答えの出ない問いを何百回と繰り返し、気づくと朝になっていた夜が何度もありました。

公立に転校した息子の本音

退学後、地元の公立中学校に転校した息子は、こう言っていました。

「公立は勉強しろって強要されないし、寝ていても怒られない。先生も優しい。ママから聞いていた話と随分違う

……耳が痛かったです。「公立は内申点が大変」「副教科も頑張らないといけない」と脅すように受験を勧めた私。でも実際には、公立中学校は息子にとって心を休められる場所になりました。

もちろん、公立に転校してすぐは2日で不登校になっています。すべてが順調だったわけではありません。ただ、公立の先生が息子のペースに寄り添ってくれたおかげで、少しずつ学校に行けるようになりました。

中学受験の後に不登校になるケースは、決して珍しくありません。私自身もあの頃は「うちだけだ」と思い込んでいましたが、同じ経験をしている家庭は想像以上に多いのだと後から知りました。その中で感じたのは、合わないと分かった時に「早めに動く」ことがどれほど大切かということです。

私立中学校に在籍し続けて状況が改善しないまま時間が過ぎてしまうと、子どもも親も消耗するばかりです。「せっかく受験したのに」「あれだけお金をかけたのに」——その気持ちは痛いほどよく分かります。私もそうでした。でも、過去にかけたお金と時間を理由に、今の子どもを苦しめ続けるのは違う。あの時、退学という決断をしてよかったと、今は心から思っています。

公立中学校に馴染み始めた息子を見て、少しだけ安堵する一方で、ふとした瞬間にやるせなさが込み上げることがありました。友達は普通に学校に通って、普通に友達と遊んで帰ってくる。うちの子だけが部屋に閉じこもっている。中学受験をさせなければ、今頃地元の友達と一緒に笑って通学していたかもしれない。「普通」がこんなに遠いものだとは思ってもいませんでした。

偏差値や学歴にこだわっていた時期もありましたが、今は息子が楽しく頑張れていたらそれだけで嬉しい——そう思えるまでに、ずいぶん長い時間がかかりました。

少し時計を戻して、息子が中学に入った頃の話に戻します。

あの頃の私は、歯車が少しずつ狂い始めていることに気づけませんでした。息子の笑顔が消え、親子の間に見えない壁ができ、家の空気がどんどん重くなっていく。全部最初からやり直したい——そう思わない日はありませんでした。

中学受験を考えている親御さんに伝えたいこと

中学受験そのものが悪いとは思いません。私の弟はその学校で充実した6年間を過ごしていますし、受験を通じて得る力は確かにあります。

ただ、私と同じ失敗をしないでほしい。だからこそ伝えたいことがあります。

  • 学校の「今」を必ず確認してください。昔のイメージや知人の経験だけで判断しない。在校生の保護者に直接話を聞くのが一番です
  • 「受験が終われば楽になる」は嘘になることがあります。進学校ほど入学後の勉強量は多い。入学がゴールではなくスタートだと伝えてあげてください
  • 偏差値ではなく「子どもに合うか」で選んでください。発達特性やお子さんの性格によって、合う学校は全く違います
  • 滑り止めの学校こそ真剣に見てください。万が一の時にその学校で6年間過ごす可能性を考えて、偏差値に関わらず校風を確認してください
  • お子さん自身の「なぜ受験するか」を一緒に考えてください。親の期待だけで走ると、入学後にギャップが生まれます

息子が「医者になれない」と口にした日

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みっこあんなに「医者になる」って言ってた息子が、中学1年生で「もう無理でしょ」って口にした日、胸がつぶれそうでした。

私立中学で成績最下位を経験した息子は、中学1年の頃に「医者になんてなれないでしょ…もう手遅れでしょ」と口にするようになりました。「なれるならなりたいよ。でももう無理に決まってるじゃん」と。

授業のスピードについていけず、不登校になり、勉強時間ゼロ。小学校のクラスで1番頭がいいと言われていた息子が、難関私立中学で全科目最下位になって、自信を完全になくしていました。

最終的に息子は「医者は本当になりたいわけじゃなかった」と言うようになりました。本心でなりたいと思っていたけど諦めたのか、それとも最初から本当の夢ではなかったのか、今も正直わかりません。

もし本当に諦めたなら、中学1年生で夢を諦めるのはもったいない。もし最初から本心でなかったなら、私は「夢」を押し付けていたことになる——どちらにしても、親として複雑な気持ちが残りました。

私の場合——あの学校選びが正しかったなら、息子は今も「医者になる」って言っていたのかもしれない。そう思うと、いまだに胸の中がざらつくことがあります。

中学受験の失敗から学んだこと|頑張った経験は無駄にならない

中学受験をせずに公立中学校に行っていたら、息子は別の理由で不登校になったかもしれません。正解は今でも分かりません。

でも一つだけ確かなことがあります。

息子は中学3年生の4月から通信講座で勉強を再開し、約1年で高校に合格しました。「本気でやれば自分はできる」と息子が信じられたのは、中学受験の3年間で必死に頑張り、合格を勝ち取った経験があったからです。

私からすれば失敗だった中学受験。でも息子の中には「やればできた」という成功体験がしっかり残っていた。人生に無駄な経験なんてないのだと、今は心から思えます。

「頑張った経験は無駄にはならない」——そう信じて、これからも息子と一緒に前に進んでいこうと思います。

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みっこの本音——中受を勧めたことを後悔しているのか

「後悔しているか」と聞かれたら、「後悔していない部分もある」としか答えられません。

中受で得た知識や経験は、高校受験の時に確かに活きました。息子自身も「あの3年間は無駄じゃなかった」と言ってくれます。

でも、あの3年間で息子の体を壊したのは事実です。その事実と「無駄じゃなかった」を両方抱えたまま、母業を続けています。どっちか1つに決められたら楽なのに、と思う日もあります。

この記事で伝えたいこと
  • 中学受験を否定するつもりはない。「学校選び」と「入学後の見通し」に判断の間違いがあった
  • 学校のカラーは数年で変わる。30年前の印象で選んじゃダメ
  • 学校説明会の「多様性を尊重」の言葉だけを鵜呑みにしない。退学率を意識して選ぶ
  • 「受験が終われば楽になる」はウソだった。中高一貫校の中学1年から大学受験カリが始まる学校も
  • 塾や受験に全振りした3年間で、親子の思い出づくりの機会を失った後悔
  • 同じ後悔をするお母さんが1人でも減りますように
偏差値より「校風・居心地・退学率」。これが私の学んだこと。

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みっこ
この記事を書いた人

シングルマザーとして、不登校・起立性調節障害・ADHDの息子と歩んできました。中3の4月に始めた通信講座(進研ゼミ)をきっかけに、約1年後に高校合格。同じように悩んでいる親御さんに「あなただけじゃないよ」と伝えたくてこのサイトを作りました。

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