「不登校だった子が、その後どうなったか知りたい」——そう思って検索している方は多いのではないでしょうか。
我が家の息子は、中学時代に不登校を経験し、通信講座を使って高校に合格しました。
この記事では、合格後の高校生活の様子や親子関係の変化、今だから言えることをお話しします。
はじめに|「あの子、結局どうなったの?」に答えます
このブログでは、息子が中学受験後に不登校になり、起立性調節障害と闘いながら通信講座で勉強し、高校受験に挑んだ過程を書いてきました。
たくさんの方から「その後どうなりましたか?」という声をいただきます。この記事では、高校合格後の息子の今を正直にお話しします。
高校受験の結果|第一志望の全日制高校に合格
結論から言うと、息子は全日制の公立高校に合格しました。偏差値は決して高くありませんが、不登校で内申点がほぼない状態からのスタートを考えれば、これは本当に大きな一歩でした。
合格発表の日、息子は画面を見て黙ったまま涙を流していました。私も隣で泣きました。「よく頑張ったね」——この一言を言えるまでに、2年以上かかりました。
高校生活のリアル|最初の1ヶ月は毎日が綱渡り
入学直後の不安
合格の喜びもつかの間、入学式の朝、息子は「やっぱり行けないかもしれない」と言いました。2年間ほぼ家から出ていなかった子にとって、満員電車に乗り、知らない人だらけの教室に入ることは想像以上のハードルでした。
最初の1週間は毎朝「今日は行ける?」と聞くのが日課でした。起立性調節障害の症状もまだ残っていて、午前中の授業は半分以上遅刻。それでも「休まず校門まで行く」ことを目標にしました。
転機は「同じ境遇の友達」との出会い
入学から3週間ほど経ったとき、息子が珍しく学校の話をしてくれました。「同じクラスに、中学の時不登校だったやつがいた」と。
その子も起立性調節障害を経験しており、「俺だけじゃなかったんだ」という安心感が、息子の気持ちを大きく変えました。不登校経験者を受け入れてくれる高校を選んだことが、結果的に正解でした。
友達ができた日|あの笑顔が忘れられない
中学で友達との辛い別れを経験した息子は、友達に飢えていました。高校でいちばんやりたいことは何かと聞くと、勉強でもバイトでもなく「友達を作ること」だと即答しました。
入学初日、帰宅した息子が「今日、クラスの子に話しかけられた」と報告してくれました。1週間もしないうちに一緒に帰る友達ができて、「思ったより早く友達ってできるんだね」と照れ臭そうに笑った。あの笑顔が、今でも忘れられません。
同じ方面に帰る子たちとグループで行動するようになると、生活が一変しました。「学校に行きたいから」と自分から夜早く布団に入るようになったのです。ダラダラ夜更かしばかりだったのに、声をかけなくても寝室に向かう。いくら言っても飲まなかった睡眠障害の薬も、毎日自分から飲むようになりました。息子が出かけた後、薬のシートから1粒減っているのを確認するたびに、目頭が熱くなりました。
1ヶ月ほどして「学校どう?」と聞いたら、「今までで一番楽しい」と。辛い時間を越えて、やっと自分の居場所を見つけてくれた。朝、学校に向かう息子の後ろ姿を見送りながら、毎日小さな幸せを噛みしめています。
今の学校が息子に合っていた|難関中学との決定的な違い
息子が以前通っていたのは、進学実績最重視の難関中学でした。勉強ができない子には厳しい言葉が飛ぶ環境で、不登校になった息子には合わなかった。
今の高校は真逆です。勉強ができない子に対しても厳しいことを言わない。先生たちが一人ひとりのペースを尊重してくれる。息子はこの雰囲気の中で、少しずつ自信を取り戻しました。
課題の量も難関中学と比べて圧倒的に少ないので、自分の時間が作れています。中学時代は膨大な課題に押しつぶされていた息子が、今は自分のペースで生活できている。結局、入ってみないとわからないんです。偏差値だけでは測れない「その子に合う学校」がある、ということを今は強く実感しています。
起立性調節障害の「その後」|完治はしていないけれど
高校に入ってからも、起立性調節障害は完全には治っていません。ただ、今のところ症状は軽く済んでいて、時々欠席・遅刻をする程度です。
正直に言えば、いつまた症状が重くなるかわからない不安はあります。進級できるのか、出席日数は足りるのか——心配は尽きません。
でも、楽しそうに学校に向かう息子の姿を見ると、毎朝涙が出そうになります。中学校では味わえなかった青春を、やっと高校で満喫している。その姿を見られるだけで、あの苦しかった日々を乗り越えた意味があったと思えます。
主治医からは「成長とともに徐々に改善する子が多い」と言われていましたが、本当にその通りでした。「待つ」ことの大切さを、今になって実感しています。
アルバイトとジム|「勉強だけじゃない」と教えてくれた
息子は中学の頃から「高校生になったらアルバイトをして、稼いだお金でスポーツジムに通いたい」と言っていました。
大学受験のことを考えると、アルバイトをせず勉強してほしい——正直そう思う気持ちはありました。でも、あの不登校の日々を思い出すと、息子がやりたいと思うことを否定する気にはなれませんでした。
実は息子がアルバイトにこだわるのには、もうひとつ理由がありました。「高校生になったらバイトするからお小遣いはいらない」と何度も言い、かたくなに譲らなかったのです。母親の苦労を、この子はずっと見ていたのだと気づかされました。
誕生日に焼肉に連れて行こうとしたら「ママ、お金大丈夫なの?」と心配され、靴屋では定価の棚には見向きもせず「半額セールのを探してる」とウロウロ。ニキビが気になるから皮膚科に行こうと言うと「いいの?お金かかるよ?」と遠慮する。医療費補助で500円だよと教えたら、パッと顔が明るくなって「じゃあ行く!!」と喜んでいました。——この子は、私の背中をずっと見ていたのです。
実際にアルバイトを始めてみると、息子はバイト先であった出来事を楽しそうにたくさん話してくれるようになりました。仕事の大変さ、お客さんとのやり取り、一緒に働く仲間のこと。あんなに口数が少なかった子が、目を輝かせて話してくるんです。
その姿を見て、「勉強だけじゃないんだな」と改めて感じました。勉強以外の場で社会と関わり、お金を稼ぎ、好きなことに使う。それも立派な成長です。
「不安じゃない。やればできると思っているし。」
あるとき、息子に聞いてみたことがあります。「大学受験は不安じゃないの?」と。
すると息子はこう答えました。
「不安じゃない。やればできると思っているし。」
少し生意気な言い方ですが(すみません)、この言葉を聞いたとき、私は泣きそうになりました。
思い返せば、不登校になったばかりの頃、息子はすっかり自信を失い、「自分は勉強ができない子だ」と口にするようになっていました。でもどこか心の奥底では、中学受験で死に物狂いで勉強して合格を勝ち取った成功体験が生きていたのだと思います。「本気でやれば、俺はできるはず」——その小さな火だけは、完全には消えていなかった。それに気づいたのは、ずっと後のことでした。
私にとっては「失敗」だった中学受験。でも息子にとっては、無我夢中で頑張って成功を勝ち取った、何にも代えがたい経験だったのです。人生に無駄なことなんてない——そのことを、息子が身をもって教えてくれました。
息子は二度の受験で志望校に合格した経験から、「自分はやればできるんだ」という自信を持つことができたようです。中学受験と高校受験。どちらも決して楽な道ではありませんでした。特に高校受験は、不登校・起立性調節障害・内申点ほぼゼロという状態からの挑戦でした。
でも、だからこそ合格したときの成功体験が本物の自信になった。自分に自信を持てる成功体験を、早くも2つ経験できた——これってすごくありがたいことではないでしょうか。
不登校は確かに辛い経験でした。でも、そこから這い上がった経験が、息子の中に「やればできる」という揺るがない軸を作ってくれた。通信講座で自分のペースで学び、自分の力で合格を掴んだからこそ、「誰かにやらされた」のではなく「自分でやった」という実感が残ったのだと思います。
勉強面|通信講座で作った基礎が高校でも生きている
中学時代に通信講座で基礎を固めた数学と英語は、高校でもクラス上位。逆に手をつけられなかった理科・社会は苦戦中。「基礎をやった教科」と「やらなかった教科」の差が如実に出ています。
💡 不登校から約1年で合格した勉強法の詳細
中3の夏から始めた通信講座での具体的な学習計画はこちらの記事で時系列でまとめています。
親子関係の変化|「勉強しろ」と言わなくなった
高校に入ってから、私は意識的に勉強について口を出さないようにしています。中学時代に「勉強しろ」と言い続けて親子関係が崩壊しかけた反省があるからです。
今の息子は、テスト前になると自分から机に向かいます。通信講座で身につけた「自分で計画を立てて勉強する力」が、高校でも生きているようです。
あの時、塾ではなく通信講座を選んだことで、「誰かに管理されなくても学べる力」が育ったのかもしれません。
そしてつい最近、息子がぽつりとこう言いました。
「お母さん、俺さ……医者って、本当になりたい仕事じゃなかったんだよね」
小さい頃からずっと「医者になりたい」と言っていた息子。でもそれは、医師家系に育った母親の私が無意識に求めていたものを、幼い子どもなりに察して口にしていただけだったのかもしれません。
「じゃあ、何がやりたいの?」と聞くと、息子は少し照れくさそうに「まだわからないけど、自分で探したい」と答えました。その言葉に、私は胸が熱くなりました。もう誰かの期待に応えるためではなく、自分の人生を自分で選ぼうとしている。不登校という暗いトンネルを抜けた息子は、確実に自分の足で歩き始めていました。
以前は夕食を自分の部屋に持ち込み、一人で食べていた息子が、今は当たり前のようにリビングの食卓に座ってくれます。テレビを見ながらたわいない話をする、ただそれだけの日常。でも私にとっては、あの孤独な食卓を思い出すたびに涙が出るほど幸せな光景です。
偏差値の高い学校、医師という肩書き——かつて私が息子の幸せだと信じていたものは、本当の幸せとは全く違いました。この子が笑って毎日を過ごしてくれること。それ以上に大切なものなんてなかったのです。不登校と反抗期を経験して、息子だけでなく、母親としての私もようやく大人になれたのだと感じています。
不登校を経験して「得たもの」
不登校の渦中にいるときは、失ったものばかりが目についていました。でも今振り返ると、息子は不登校を通じていくつかの大切なものを得たと感じています。
- 「やればできる」という自信:二度の受験合格で得た、揺るがない成功体験
- 自分のペースを知る力:体調と相談しながら無理しない判断ができる
- 自学自習の習慣:通信講座で身につけた「一人で学ぶ力」は一生の財産
- 他者への共感力:同じように苦しんでいる子の気持ちがわかる
- 「普通」に縛られない考え方:みんなと同じでなくてもいいと知った
- 勉強以外の世界:アルバイトやジムを通じて、社会との接点を自分で作れるようになった
ジィジの病気と、息子の一言
最近、私の父——息子が「ジィジ」と呼んで慕っていた人が、認知症とパーキンソン症候群と診断されました。
息子にとってジィジは、父親代わりの存在でした。幼稚園の頃に離婚した我が家では、ジィジが来るたびに息子は「ジィジ、キャッチボールしよう!」「ジィジ、頭洗って!」と飛びついていた。ジィジもそんな孫が可愛くて仕方なかったようで、お風呂に入れてくれたり、自転車の漕ぎ方を教えてくれたり、父親がやるようなことを全部やってくれていました。
そのジィジが、病気になった。
息子にそのことを告げると、「え……」としばらく固まったまま、何かを考え込んでいるようでした。
そして、ぽつりとこう言ったのです。
「ジィジが俺のこと分かるうちに、ちゃんとしてるとこ見せないとな」
その言葉を聞いたとき、感情がこみ上げてきて止まりませんでした。
不登校になった時、反抗期で暴言を吐かれた時、家出をされた時——私は何度も「子育てを間違えたのかもしれない」と自分を責めました。育て方が悪かったから、こうなってしまったのではないかと。
でも、息子のあの一言で確信しました。間違えてなんかいなかった。
この子は、ちゃんと優しい子に育っている。大切な人を想える心を持っている。偏差値とか、内申点とか、学校に行けたかどうかとか——そんなことより、この優しさを持っているだけで、息子は大丈夫だ。
そう思えた瞬間でした。
今、不登校の渦中にいる親御さんへ
「この子はもうダメなんじゃないか」——私も何度もそう思いました。
でも、子どもは親が思っている以上に強いです。適切な環境と時間を与えれば、自分の力で立ち上がります。
息子の場合、その「適切な環境」が通信講座でした。塾のように時間に縛られず、自分のペースで、体調に合わせて学べる環境。それがあったから、高校受験を乗り越えられた。
そして今、息子は高校に通い、アルバイトをし、ジムに通い、友達と笑っています。中学校では味わえなかった青春を、高校でやっと満喫しています。
今、お子さんが不登校で苦しんでいるなら、まずは「この子に合った学び方」を探すことから始めてみてください。そして、「この子に合った学校」を一緒に探してあげてください。偏差値ではなく、お子さんが笑顔でいられる場所を。
答えは必ずあります。
まとめ|不登校は「終わり」じゃなかった
息子は今、高校に通い、友達と笑い、バイト先での出来事を楽しそうに話し、自分の将来について考え始めています。完璧ではありません。遅刻もするし、体調が悪い日もある。進級への不安もまだあります。
でも、「不安じゃない。やればできると思っているし。」——そう言える息子がいる。
不登校は人生の「終わり」ではなく、「回り道」でした。そしてその回り道で見つけた通信講座という学び方、自分に合った学校との出会い、「やればできる」という自信——すべてが、今の息子を作っています。


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