反抗期の子の「やりたい」を否定し続けた私が応援する親に変わるまで

木の壁に立てかけられたアコースティックギター 不登校の悩みと向き合い方
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息子が何かに興味を持つたびに、私の口から出るのは「やめておきなさい」だった。

株をやりたい、ジムに通いたい、バイトを始めたい――。中学で不登校を経験した息子が少しずつ前を向き始めた頃、せっかく芽生えた「やりたい」という気持ちを、私は心配という名の否定で何度も潰してしまっていた。

医師家系に育ち、「良い学校、良い仕事」こそが幸せだと信じてきた私。不登校で傷ついた息子をこれ以上傷つけたくないという思いが、いつしか息子の可能性を狭めていたことに気づくまでの話を書きたいと思う。

「やりたい」を否定していた理由

心配が先に立つ親心

息子がいろんなことに興味を持つタイプだということは、小さい頃からわかっていた。好奇心旺盛で、目を輝かせて「これやってみたい!」と言ってくる姿は本来なら頼もしいはずだった。

でも不登校を経験してからの私は、何を聞いてもまずデメリットを考えるクセがついてしまっていた。「もし失敗したら」「もし傷ついたら」「もし取り返しがつかないことになったら」。心配が先に立って、気づけば否定的な言葉ばかり口にしていた。

親としては守っているつもりだった。でも息子からすれば、自分の気持ちを否定されているとしか感じなかっただろう。

医師家系の「良い学校・良い仕事」の呪縛

私の実家は医師家系だ。親族の間では「良い学校に行き、良い職業に就くことが幸せへの道」という価値観が当たり前のように共有されていた。

私自身もその考えに疑問を持たずに育ち、息子にも同じ道を歩んでほしいと願っていた。だから学力=幸せという方程式が頭にこびりつき、息子が勉強以外のことに熱中しようとすると、「そんなことより勉強を」「将来のためにならない」と否定してしまっていた。

振り返れば、息子の人生を私の価値観で縛ろうとしていたのだと思う。

不登校で傷ついた息子をこれ以上傷つけたくなかった

中学で不登校になった息子を見てきた私は、息子が何か新しいことに挑戦して失敗するのが怖かった。また傷ついて、また立ち直れなくなったらどうしよう。

「安全な場所にいてほしい」「リスクのあることはさせたくない」。その気持ちが強すぎて、息子の「やりたい」を受け止める余裕がなかった。守りたい一心の行動が、結果的に息子の成長を止めようとしていたのだ。

否定して失敗した3つのこと

「株をやりたい」→「子供がやるものじゃない」

ある日、息子が「株をやってみたい」と言ってきた。私の第一声は「子供がやるものじゃない」だった。

心の中では様々な不安が渦巻いていた。働く前から株を覚えたら金銭感覚がおかしくなるのではないか。怪しい株講座のような詐欺に引っかかるリスクが高まるのではないか。ギャンブル好きな子になってしまうのではないか。

何の根拠もなく、ただ漠然とした不安だけで否定してしまった。息子の目から光が消えた瞬間を、私は今でも覚えている。

「ジムに通いたい」→「機械に挟まれたら…」

筋トレに興味を持った息子が「ジムに通いたい」と言った時も、真っ先に浮かんだのは心配だった。

「もし機械に挟まれて怪我でもしたら…」。我ながらとんでもない心配だと今では思う。でもあの時の私は本気でそう思っていた。不登校で傷ついた息子に、これ以上身体的な怪我まで負わせたくないという気持ちが暴走していたのだ。

冷静に考えれば、身体を動かすことは心身の健康にとても良いことだとわかるのに。

「バイトを始めたい」→「勉強しなくなる…」

高校に入ってから息子が「バイトを始めたい」と言い出した。このときも私の頭の中では最悪のシナリオが展開された。

バイトに夢中になる→勉強しなくなる→大学受験に失敗する→高卒になってしまう…。一瞬でここまで飛躍した不安が広がった。

医師家系の価値観が染みついた私にとって、「勉強以外に時間を使う=将来を棒に振る」という思考が反射的に働いてしまう。息子の挑戦したいという気持ちよりも、自分の不安を優先してしまっていたのだ。

心配ごとの9割は起こらなかった

「心配ごとの9割は実際には起こらない」という言葉がある。まさにその通りだった。渋々ながらも息子の「やりたい」を許してみたら、私が恐れていたことは何一つ起こらなかった

株→毎日経済ニュースをチェックするように

子供向けの株口座があることを知り、入金は私しかできないようにするという条件で渋々始めることを許した。すると息子は毎日のように「今日この株が100円上がったよ…何かあったのかな。調べてみる!」と目を輝かせて話してくるようになった。

経済ニュースを自分からチェックし、世の中の動きに興味を持ち始めた。心配していたような大金を注ぎ込んで損をするとか、怪しい株講座に興味を持つなんてことは一切なかった。

「子供がやるものじゃない」と決めつけた私が恥ずかしくなった。

ジム→友達と健康的な趣味に

ジムについても、「せっかくなら友達と一緒のところに通えば?」と提案してみたら、友達と一緒に通い始めた。

機械に挟まれるどころか、友達と一緒に身体を動かす健康的な趣味になった。外出する機会が増え、生活リズムも少しずつ整っていった。不登校時代に乱れがちだった昼夜逆転も改善の兆しが見え、ジムに通うことが息子の生活に良い影響を与えてくれた。

バイト→自分で稼ぐ喜びと社会性

バイトも「社会の厳しさを覚える良い機会かもしれないね」と前向きに送り出してみた。すると息子は自分で稼いだお金でジムの会費を払い、友達と遊びに行くようになった。

お金を自分で稼ぐ大変さを知り、私が働いて稼いでいることへの理解も深まったようだった。「勉強しなくなる」どころか、「高校2年生になったら受験勉強を始めるから、高校1年生は好きにさせて」と自分から計画を立てるまでになった。

「否定から入らない」と決めた日

すぐには変われない。でも「あの時は心配で反対しちゃったけど」と訂正した

正直に言えば、「否定から入らない」と決めてからも、すぐには変われなかった。

何か新しいことを言われると、反射的に心配が先に出てしまう。時々否定的なことを言ってしまい、息子と衝突することもあった。

でも私は一つだけ心がけるようにした。否定してしまった後に、「あの時は心配で反対しちゃったけど、よく考えたらやってみるのもいいかもしれないと思ったよ」と冷静に訂正すること。

完璧に最初から肯定できなくても、後から自分の言葉を振り返って訂正する。その繰り返しが、少しずつ私を変えていった。

完璧な親じゃなくていい。変わろうとする姿勢が大事

世の中の育児書には「子どもの意見を尊重しましょう」「否定しないで受け止めましょう」と書いてある。でも実際にそれを実践するのは本当に難しい。特に不登校という経験をした親は、子どもを守りたい気持ちが人一倍強い。

完璧な親じゃなくていい。大切なのは、変わろうとする姿勢を子どもに見せることだと私は思う。

間違えたら認める。否定してしまったら訂正する。その姿を息子はちゃんと見ていた。

応援する親になったら息子が変わった

「ちゃんと話せばわかってくれる」

私が否定から入ることをやめ、訂正を重ねていくうちに、息子の方にも変化が現れた。

以前は何かやりたいことがあっても黙って行動するか、反抗的に要求してくることが多かった。でも次第に、「やりたいことをちゃんと話せばわかってくれる」と理解してくれたようだった。

冷静に、理由をつけて相談してくるようになった。「これをやりたいんだけど、こういう理由で」と論理的に伝えてくれる。反抗期のあの時とは全く違う、対等なコミュニケーションが生まれた。

「勉強もちゃんとやるから」

さらに嬉しかったのは、「これをやらせて。でも勉強はちゃんとやるから」と自分から言ってくるようになったことだ。

好きなことばかりではなく、やるべきこともやるという意識が芽生えていた。私が口うるさく「勉強しなさい」と言っていた時には絶対に見せなかった姿だった。

否定され続けていた時、息子は「どうせ言っても反対される」と諦めていたのだと思う。でも親が応援する姿勢を見せたら、息子は自分で考え、自分でバランスを取るようになった。子どもは信じてもらえると、自分で責任を持とうとするのだ。

反抗期が教えてくれた「子どもを信じる」ということ

反抗期の息子と向き合う日々は、本当に辛かった。暴言を吐かれ、ドアを閉められ、会話もなくなった。一時は「一生このままなのではないか」と絶望したこともある。

でも振り返ってみれば、反抗期は息子が「自分の意志で生きたい」と主張し始めた証だった。それを否定し続けることは、息子の成長を否定することと同じだったのだ。

息子の人生は息子が決めるもの。特に自我が強い息子は、自分が納得した生き方をしないと前に進めない子だった。それは弱さではなく、立派な強さだ。

学力や偏差値よりも、自分で熱中できることを見つけ、そのスキルを磨いていく方が息子には合っている。教育を財産として残そうとしていた私だったが、本人にやる気がないとどれだけ良い教育環境を親が準備しても全く意味がない。本人がやる気になった時にサポートできる準備をしておく。それが今の私にできる最善のことだと思っている。

反抗期を乗り越えた今、息子は笑顔で「今までで一番楽しい」と学校生活を送っている。あの苦しい日々があったからこそ、親子共に成長できた。反抗期は終わりではなく、新しい親子関係の始まりだった。

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