息子が3日間、家に帰ってこなかった。
あの夜のことは、たぶんずっと覚えていると思う。玄関の鍵を開けたまま眠れずに朝を迎え、何度もスマホを確認し、「もしかしたらもう二度と帰ってこないかもしれない」と本気で思った。
我が家は母子家庭で、頼れる親族もいない。中学生の息子と二人きりの生活の中で起きた、家出と児童保護施設での保護という衝撃的な出来事。同じように反抗期のお子さんに悩むお母さん・お父さんに、あの3日間で私が学んだことをお伝えしたいと思います。
家出の前、息子からこんなLINEが届いていました。

「何言っても信じてくれない」「しんどいって言っても信じないでしょ?」——今読み返すと、これは息子からのSOSでした。でも当時の私は、また反抗期の延長だと思って受け流してしまった。このサインに気づけなかった自分を、今でも責めています。
家出をする子どもは、「家が嫌い」なわけではありません。むしろ「助けて」と言えないから、体が先に動いてしまう。あの時の息子も、きっとそうだったのだと思います。
家出のきっかけはスマホだった
スマホ依存が深刻化していた日々
息子は私立中学校に入ってから、急激にスマホに依存するようになりました。
もともとは中学受験時代、自分でタイマーをかけて10分だけゲームをするような子だったのに、友達の輪が広がるにつれて歯止めが利かなくなっていきました。不登校が始まってからは1日中部屋でスマホを触っている状態に。学校に行けない息子にとってスマホが友達との唯一のつながりだったのですが、当時の私にはそこまで考える余裕がありませんでした。
大人に置き換えれば、会社を辞めた後に友人からの電話やSNSを全部取り上げられるのと同じです。社会との接点がゼロになる恐怖。不登校の子にとって、スマホはただの娯楽ではなく「社会への窓」だったのだと、あとから気づきました。
時間制限や使用ルールなど、あらゆる方法を試しましたが全て失敗。息子は猛反発し、「○○やるからLINEの時間伸ばして」と必死に交渉してくる毎日でした。スマホ依存との格闘については別の記事で詳しく書いていますが、当時の私は完全に追い詰められていました。
取り上げた瞬間、息子は家を飛び出した
ある日、私はついにスマホを取り上げました。
これ以上スマホを触らせていたら、この子はダメになる。そう思い込んでいた私は、息子の手からスマホを奪い取りました。
息子は激怒しました。今まで見たことのないような形相で叫び、そのまま玄関を飛び出して行ったのです。
夕方のことでした。「すぐ戻ってくるだろう」と最初は思っていました。でも、夜になっても帰ってこない。日付が変わっても、帰ってこない。
帰ってこない夜
学校の先生が居場所を突き止めた——でも教えてもらえなかった
翌朝、学校に連絡しました。担任の先生、そして息子の友達のお母さんたちにも片っ端から電話をかけました。
「すみません、息子が昨日から帰ってこなくて……お宅に来ていませんか?」
何度も何度も頭を下げました。友達のお母さんたちも心配して一緒に探してくれましたが、どこにもいない。
すると、学校の先生が生徒たちに聞き込みをしてくれて、息子の居場所を突き止めてくれました。
「先生、場所を教えてください!すぐに迎えに行きます!」
私は必死に頼みました。でも、先生の答えは予想外のものでした。
「もう暗くなるので、至急捜索願いを出してください。何か問題が起きたらどうするんですか?」
「場所を教えてくれればすぐ迎えに行けるのに」と食い下がりましたが、「警察の方が早いですから、お教えすることはできません」と。先生の判断は正しかったのだと今は思います。でもあの時は、息子の居場所が分かっているのに会いに行けないもどかしさで、頭がおかしくなりそうでした。
捜索願いを出すかどうか——私の中で渦巻いた葛藤
先生から「捜索願いを出してください」と言われた瞬間、頭の中で何十もの考えが一気に駆け巡りました。
自分で迎えに行きたい。でも息子がいたのは、すぐに駆けつけられるような場所ではありませんでした。今から向かっている間に息子がまた別の場所に移動したら、また行方が分からなくなる。日も暮れかけていて、このままではまた一晩、中学生の息子が一人きりで夜を過ごすことになるかもしれない——。
せっかく先生が居場所を突き止めてくれたのに、ここで判断を誤って息子を見失ったら取り返しがつかない。先生の助言に従わなかったことで「だから言ったのに」と思われるのも怖かった。
恥ずかしい話ですが、あの時の私は学校からどう思われるかまで気にしていました。
不登校になってから、学校に呼び出されるたびに「また何かやったのか」という空気の中で頭を下げてきました。「あの家庭は問題がある」「私がしっかりしていないから」——そんな風に思われているのではないかと、ずっとびくびくしていたのです。警察沙汰になれば、学校からの印象はもっと悪くなるだろう。追い詰められた状況でさえ、そんなことを考えてしまう自分がいました。
お子さんのことで学校や周囲の目が気になって仕方がないという方、いらっしゃいませんか。子どものために必死なだけなのに、「ちゃんとした親でいなければ」という呪縛がどんな瞬間にもつきまとう。シングルマザーならなおさらです。あれ以来、私はその呪縛の中で身動きが取れなくなっていました。
でも、一番胸が苦しかったのは別のことでした。
警察に保護されたら、息子はどれだけ怖い思いをするだろう。
まだ中学生です。見知らぬ大人に声をかけられ、パトカーに乗せられ、知らない場所に連れていかれる。反抗期で強がっていても、中身はまだ子どもなのです。きっと怯えるに決まっている。「ママが警察を呼んだんだ」と、私のことをもっと嫌いになるかもしれない。
本当は出したくなかった。自分の手で迎えに行って、「帰ろう」と言いたかった。
でも——もしこのまま何もしないで、息子の身に何かあったら。
学校の目も、息子に嫌われることも、全部どうでもいい。この子が無事でいてくれるなら、それ以外のことは全部あとで考えればいい。そう自分に言い聞かせて、私は警察署に向かいました。
震える手で捜索願いの用紙に記入しました。息子の名前、年齢、身長、その日着ていた服……。こんな形で息子の情報を書く日が来るなんて思ってもみなかった。ペンを持つ手が止まらないように、ただ無心で書きました。
シングルマザーで、深夜に「息子が帰ってこない」と相談できる相手が一人もいない。何度も思い返してしまう孤独と恐怖は、経験した人にしか分からないものだと思います。
児童保護施設に保護された息子
警察が見つけてくれた——でも、すぐには会えなかった
警察から連絡が来ました。「お子さんは無事です。保護しました。」
安堵で膝から崩れ落ちそうになりました。生きていた。無事だった。それだけで堰を切ったように涙があふれました。
警察が息子を見つけてくれたのです。すぐに会えると思いました。でも、そうはなりませんでした。
「また家出する恐れがあるため、児童保護施設でお預かりします」
その日のうちに施設から出られるものだと思っていました。ところが、「家庭に問題がないかヒアリングしてからでないとお返しできません。早くて3日後になります」と告げられたのです。
3日も息子に会えない
3日。たった3日かもしれない。でも、息子がどんな顔をしているのか、怪我はしていないのか、何を考えているのか、何も分からない。親なのに、自分の子どもに会えない。その事実が、胸を引き裂くように辛かったです。
どんな部屋にいるのだろう。冷たいベッドの上で天井を見つめているのだろうか。「帰りたい」と声に出せずに、膝を抱えて怯えていないだろうか。
施設ではスマホを没収されていました。あれだけ手放せなかったスマホ——友達との唯一のつながりが、突然絶たれたのです。毎日のようにグループ通話をして、ゲームをして、LINEで冗談を言い合っていた友達の声が一切聞こえない場所に、たったいる。寂しさに耐えられなくなっているのではないか。心配で、心配で、どうにかなってしまいそうでした。
せめて手紙だけでも届けたかった
我慢できなくなって、施設まで足を運びました。面会はできないと分かっていました。でも、家でじっと待っていることなんてできなかったのです。
施設の方に「面会はできなくても、せめて手紙だけでも渡していただけませんか」とお願いしました。
施設の方は少し考えてから、「手紙であればお預かりできます」と言ってくれました。その言葉に、わずかな光が見えた気がしました。
持っていたカバンからスケジュール帳を取り出し、ページを破って、震える手で書きました。うまい言葉なんて出てきませんでした。ただ「会いたい」「帰ってきてほしい」「ごめんね」と、それだけを何度も書いては消し、書いては消し、最後は震える文字のまま渡しました。
これがその時、施設を通じて息子に渡した手紙です。

「息子が保護された」と伝えると、普段は離れて暮らしている父親(元夫)も来てくれました。息子が警察に保護されて施設に入れられたと聞いて、さすがにこの時ばかりは驚いた様子でした。離婚してからは息子のことで連絡を取ることもほとんどなく、「頼る」という関係ではなかったのですが、この事態にはさすがに黙っていられなかったようです。
1人で施設にいる息子。友達とも連絡が取れず、きっと不安でいっぱいのはず。せめて「お父さんも来てくれたんだ」と知ったら、少しは安心するかもしれない——そう思った私は、父親にも手紙に一言メッセージを添えてほしいとお願いしました。父親が何を書いてくれたのかは聞いていません。でも、あの手紙を届けることだけが、面会できない3日間の中で私にできた唯一のことでした。
同じような経験をされた方がいたら、伝えたいことがあります。あの時の私は「こんなことになったのは全部自分のせいだ」と自分を責め続けていました。でも今思えば、手紙を書くことも、施設に足を運ぶことも、お子さんを想う気持ちがあるからこそできること。何もできない自分を、どうか責めないでください。
手紙を渡した後も、そこを離れられなかった
手紙を託した後も、私はその場を動けませんでした。
中に入ることはできない。会うこともできない。でも、同じ建物の中に息子がいると思うだけで、足が動かなかったのです。
施設の前に立ったまま、声を殺して泣いていました。通りすがりの人がこちらを見ていたかもしれません。でも、そんなことはどうでもよかった。「ごめんね」「帰ってきて」と、声にならない言葉を何度も繰り返していました。
⚠️ 子供が家出したときに親がやるべき3つのこと
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パニックになる前に知っておきたい初動対応
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- まず友達の親に連絡する → 子供は友達のところに行く可能性が最も高い。うちもそうだった
- 警察への届け出を躊躇しない → 捜索願は「大げさ」ではない。夜の外出は危険。届け出の心理的ハードルは高いが、子供の安全が最優先
- 帰ってきた時に怒らない → 「何してたの!」ではなく「帰ってきてくれてありがとう」。怒ったら次は帰ってこなくなる可能性がある
「出て行きなさい」と言ってしまった私が、一番学んだことです。
3日後、帰ってきた息子
3日間の保護期間を経て、息子は家に帰ってきました。
玄関で顔を合わせた瞬間、怒りも悲しみも全部吹き飛んで、ただ「おかえり」としか言えませんでした。息子も何も言わず、無言のまま自分の部屋に入っていきました。
しばらくは会話らしい会話もなく、腫れ物に触るような日々が続きました。でも、少しずつ日常が戻ってきて、ある日息子が台所に来て「……腹減った」と言った時、ああ、帰ってきたんだなと実感しました。
あの反抗期の日々、息子は家の中でだけ荒れていました。外に出れば友達には優しく、電話で楽しそうに笑っている声が聞こえてくることもあった。反抗期は家の中でだけ。外ではとても優しい子だったのです。だからこそ私は「私さえ我慢すれば」と一人で耐え続けてしまったのかもしれません。
私の場合——あの3日間で「学んだ」なんて、当時の自分が聞いたら怒ると思います。学んだんじゃなくて、思い知らされたんです。全部、自分のやり方が間違っていたと。
あの3日間で私が学んだこと
スマホを取り上げるのは最悪の手段だった
家出の直接のきっかけは、私がスマホを取り上げたことでした。
あの一件以降、私はスマホを取り上げるのは得策ではないと身をもって学びました。力ずくで管理しようとした結果がこれだったのです。
もちろんスマホ依存は問題です。でも「取り上げる」という方法は、不登校の子どもにとっては特に危険な選択だったと今は分かります。
不登校の子にとってスマホは唯一の社会とのつながり
不登校の期間中、息子は1日中部屋でスマホを触っていました。以前の私はそれが許せなかった。
でも冷静に考えれば、学校に行けない息子がリアルで友達と会う機会はほとんどありません。スマホだけが、友達とつながれる唯一の手段だったのです。
スマホで友達と楽しそうに話している声を聞いて、ホッとしたことも正直何度もありました。それなのに「スマホばかり触って!」と怒ってしまっていた自分が情けなくなりました。
管理するほど子どもは遠ざかる
LINEの時間制限、使用時間の監視……我が家では親が管理しようとすればするほど、息子の反発は激しくなっていきました。
息子が通っていた学校では、「スマホの管理を厳しく」「LINEの内容をチェックするように」という指導方針があり、私はそれに従って息子を監視していました。位置情報も見ていたし、LINEの内容もPCでチェックしていた。
その結果どうなったか。息子は私に心を閉ざし、ひどい言葉をぶつけ、物を投げ、最後には家を飛び出した。管理を強めるほど、子どもは親から遠ざかっていく。この事実を、私は最も痛い形で学びました。
反抗期の息子とシングルマザーの孤独
息子が家出した3日間、私は誰にも頼れませんでした。
シングルマザーで、息子が幼稚園の時に離婚しています。近くに頼れる親族もいない。深夜に「息子が帰ってこない」と相談できる相手が一人もいなかった。
反抗期の息子に「学校に行って」「勉強して」と必死に訴えかけても、「うるさいな。やるって言ってるだろ」と反発される日々。小学生の頃は「ママ長生きしてね」と手を繋いでくるような甘えん坊だったのに、中学に入ってからじわじわと変わり始め、気づけば別人のようになってしまった息子。
親なのに息子のことを「怖い」と感じてしまったこともあります。目つきが鋭くなり、何かあるとにらみつけてくる。笑顔が完全に消えた息子を前に、私はうつ病を発症しました。
一人で抱え込んで、限界を迎えて、その結果が息子の家出だったのかもしれません。
私の場合——あの夜、誰かに電話できていたら何か変わっていたのかなと、今でも考えることがあります。
同じ状況の親御さんに伝えたいこと
あの経験から数年が経ち、息子の反抗期は中学2年の冬には落ち着きました。今では一緒に買い物に行ったり、ご飯を食べに行ったりできるほど関係は回復しています。
後になって息子は、「2年で反抗期終わったなんて早いでしょ?僕って親孝行じゃない?」と笑って言っていました。その言葉を聞いた時は、心の底から安堵しました。
あの日々を乗り越えて、私が最も大切だと感じたことは3つです。
1. スマホを力ずくで取り上げない
特に不登校のお子さんの場合、スマホは生命線です。取り上げるのではなく、一緒にルールを考えていく姿勢が大切でした。
2. 口出しを減らす
勉強しろ、スマホを置け、学校に行け。我が家の場合、これらの口出しを一切やめてから息子は変わり始めました。趣味の料理やギターの話題から、少しずつ会話が戻ってきたのです。
3. 一人で抱え込まない
シングルマザーの私が言うのも矛盾しているかもしれませんが、あの時もっと早く誰かに相談していれば、ここまで追い詰められなかったかもしれません。学校のスクールカウンセラー、自治体の相談窓口、何でもいいからSOSを出してほしい。
反抗期はいつか終わります。我が家は約2年でした。でもその渦中にいる時は「一生このままかもしれない」と絶望する気持ち、痛いほど分かります。
もしお子さんの学習面で不安があれば、我が家のように通信講座という選択肢もあります。塾に通えなくても、不登校でも、自分のペースで学べる環境を整えてあげることが、親にできる数少ないサポートの一つだと思います。
みっこの本音——施設の前でうずくまった日のこと
あの3日間のことは、たぶんずっと覚えていると思います。施設の前で声も出せずにうずくまっていた自分。中に息子がいるのに会えない。あの無力感は、言葉にできません。でも今、息子は笑っている。一緒にご飯を食べている。あの3日間があったから「当たり前の日常」がどれだけ尊いか、骨の髄までわかるようになりました。
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