私立中学校を退学し公立へ転校したものの、息子はそこでも登校できず、1日はベッドの上で始まりベッドの上で終わる日々が続きました。
学校に行けなくなった。勉強もしなくなった。一日中、部屋でゲームかギターを弾くだけの日々。
「この子の人生、どうなってしまうんだろう」
ADHDの特性と不登校が重なったとき、親の絶望感は想像を絶します。でも、ゼロから少しずつ積み上げた記録をここに残します。同じ状況にいるお母さんの「次の一歩」のヒントになれば。
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不登校に至るまでに失ったもの
不登校になる前、息子がたまに学校に行く時期がありました。行けた日は私の気持ちも晴れやかになり、休んだ日は寝込むほど落ち込む。出席に一喜一憂する毎日が続きました。学校行事に1人で参加するのも辛かった。説明会も体育祭も夫婦で来ている人ばかりで、シングルマザーの私はいつもぽつんと1人。体育祭を見に行けなかった後悔もあります(詳しくはこちら)。と聞いた時、行けばよかったと心底後悔しました。
部屋に貼った写真カレンダーを見て泣いた日々
不登校が続いていた頃、私は息子の小さい頃の写真をカレンダーにして、リビングの壁に貼っていました。遠足の時の嬉しそうな後ろ姿、幼稚園の運動会で満面の笑みを見せる息子。小学校の入学式で誇らしげにランドセルを背負う息子。中学受験に合格して「ほんとに!?」と大興奮する息子。
「あの笑顔の男の子は、どこに行ってしまったの」
写真の中の息子と、部屋に閉じこもって食事もろくに取らない今の息子。その落差に耐えられず、カレンダーを見るたびに涙が止まりませんでした。でも外すこともできなかった。あの笑顔が、息子が「元気だった証拠」のように思えて、手放すのが怖かったのです。
【0〜1ヶ月目】完全停止期——ベッドで三角座りの日々
私立中学校を退学し、公立中学校に転校したものの2日で不登校になった息子。最初の1ヶ月は、文字通り何もできなかった。
息子はベッドの上で三角座りをして、ずっとボーッとしていました。起きるのは昼過ぎ。起きてもゲームかYouTube。声をかければ「うるさい」の一言。
食事も家族と取らなくなりました。リビングに降りてくることすらなく、部屋に閉じこもったまま。私が食事をドアの前に置いても、手をつけない日もありました。大好きだった友達と離れた衝撃が、息子の心を凍りつかせていたのです。
一番怖かったのは、スマホに触らなくなった日でした。不登校中もスマホだけは肌身離さず持っていた息子が、机の上に置いたまま、画面が光っても手を伸ばさない。友達から通知が来ても既読をつけない。あれほどハマっていたゲームも起動しない。まるで世界との接続を自分から切ったように見えました。
「ご飯食べる?」と聞いても「うん……」と力のない返事。いつもなら「いらない!」とぶっきらぼうに返してくるのに、その「うん」の方がずっと怖かった。反抗する元気すらないということは、心が限界に達しているということ。あの時の息子は、自分でもどうしたらいいか分からないまま、ただ時間が過ぎるのを待っていたのだと思います。
私立中学校の友達に「学校を辞めることにした」と告げたのは、退学を決めてしばらく経った頃のこと。息子は友達一人ひとりに「今までありがとう。お前とはこんなことしたよな。楽しかった」というメッセージを丁寧に送っていました。それを見て、私は心が締め付けられる思いでした。
私は毎日、息子の部屋の前で立ち尽くしていました。ドアの向こうから聞こえるゲームの音。「この音が止まる日は来るのだろうか」と、暗い気持ちで耳を澄ませていました。
息子の言葉——「もう自分は勉強できない子だ」
ある日、珍しくリビングに降りてきた息子がぽつりとこう言いました。
「僕さ、もう自分は勉強できない子だと思う」
中学受験で難関校に合格し、大手塾の上位クラスにいた息子。小学校ではオール5。ママ友から「うちの子に数学教えてあげて」と頼まれるような子だったのに——その息子が「勉強できない子」と自分を定義している。胸が潰れるような思いでした。
でも後から気づいたのは、息子の中には別の感情もあったということです。「本気出せばやれる」——そんな根拠のない自信が、実際にはまだ残っていました。なぜなら、中学受験で3年間必死に勉強し、難関校に合格した成功体験があったから。あの時の「やればできた」という記憶が、完全には消えていなかったのです。
私からすると「失敗」に思えた中学受験でしたが、頑張ったことに失敗はない。息子の中で、あの経験は確かに「もう一度やればできるかもしれない」という小さな灯火として残っていました。
【2ヶ月目】リビングに出てきた——小さな変化の兆し
2ヶ月目に入ると、少しずつ変化が見え始めました。
まず、食事をリビングで取るようになった。最初は私と同じ時間には食べず、私が食事を終えた後にこっそり降りてきて、一人で食べていました。でもそれだけでも、私にとっては大きな進歩でした。
それから、前の学校の友達とスマホで話すようになりました。グループ通話でゲームをしながら笑い声が聞こえてくると、「まだ社会とつながれている」とホッとしました。不登校で外に出られない息子にとって、スマホの向こうの友達は唯一のつながりだったのです。
週末には友達と外出することも出てきて、少しずつ「部屋の外」に意識が向き始めていました。
【3ヶ月目】好きなことへのエネルギーが戻ってきた
勉強はまだゼロ。でも息子は「何もしていない」わけではありませんでした。
料理にハマり始め、夕食を作ってくれるように。スマホでレシピを検索しながら、スパイスを何種類も並べてカレーを作ってくれた日のことは忘れられません。ギターの練習は毎日3時間。筋トレも欠かさない。好きなことへの過集中は健在でした。
「この集中力を勉強に…」と思いましたが、ここで焦るのはNG。過去に何度も失敗しています。中学受験の時と同じ感覚で「勉強しろ」と迫って、親子関係が壊れかけた経験がある。「好きなことができているなら、心は回復に向かっている」——そう自分に言い聞かせました。
前まで部屋に入っただけで怒鳴って怒っていた息子が、「ちょっと味見して」と自分で作った料理を差し出してきたと持ってくるようになった。その変化だけで十分。勉強のことは、もう少し待とうと決めました。
そこから半年以上、息子は料理やギターに没頭しながらも、勉強にはまったく手をつけない日々が続きました。中学2年生の後半から中学3年生の春まで——焦る気持ちはありましたが、無理に勉強を押し付けた過去の失敗を繰り返したくなかった。息子の心が十分に回復するまで、私はひたすら待ちました。
【約1年後・中学3年生の春】通信講座を「置いてみた」
直接「勉強しよう」とは言いませんでした。代わりに、リビングのテーブルにタブレットを置いて、通信講座のアプリを開いた状態にしておきました。
最初は完全無視。3日間、一度も触りませんでした。
でも4日目、料理の合間に何気なくタブレットを触って、理科の動画を1本だけ見た。それが最初の一歩でした。
その日、私は何も言いませんでした。「見たんだ、えらいね」も言わない。自然に、何事もなかったように過ごしました。ADHDの子に「やらされている」と感じさせたら終わりだと学んでいたから。
シングルマザーで金銭的に余裕があったわけではないので、進研ゼミは費用が抑えられるだけでなく、AIが苦手分野を自動で出題してくれる機能が息子の特性に合っていました。タブレットメインで学ぶ講座にしたのは、紙の教科書だと「勉強感」が強すぎて息子が拒否すると思ったから。スマホと同じ「画面をタップする」行為なら、心理的なハードルが低いと考えたのです。
【通信講座を始めて1〜2ヶ月】週3回、15分ずつ
少しずつ、家庭学習に触れる頻度が増えていきました。
毎日ではない。気が向いた時だけ。でも週に3回、1回15分程度の学習習慣がゆるやかに形成されていきました。
ADHDの特性に合っていたのは以下の点です:
- 1回の学習が短い(15分で1単元が完結する)
- 映像授業が視覚的に面白い
- AI が「次にやるべき問題」を自動選定してくれるので、自分で計画を立てなくていい
- 正解するとポイントが貯まる仕組みがある(即時報酬)
中学1年生の範囲から復習できるのも大きかった。中学1年から勉強がストップしていた息子にとって、「自分が止まったところから始められる」という安心感は計り知れなかったと思います。
【通信講座を始めて3ヶ月〜】毎日の学習が「当たり前」に
通信講座を始めて3ヶ月目には、息子は自分から毎日自宅学習を開くようになりました。
まだ1日30分程度。学校の授業時間には遠く及ばない。でも、あの「何もしない日々」を思えば、信じられないくらいの変化です。
「今日の英語の動画、先生の説明うまかった」——そんな何気ない一言が、私にとっては宝物でした。
友達との時間を大切にしつつ、体調のいい午後にタブレットに向かう日が増えていったする。そのスタイルが息子には合っていました。私も前の失敗を反省し、「勉強しろ」とは一切言わないように心がけたことで、息子の反抗期は次第に収まっていきました。
支えてくれた人たちの存在
孤独な日々の中で、救いになったのは外部の支えでした。市の発達障害相談に行った時、担当の方に「お母さん、頑張ってるね」と言われた瞬間、目の奥が熱くなりました。誰にも弱音を吐けず、1人で全部抱えてきた。そのひとことで心の蓋が外れました。
公立中学校の先生も、息子に寄り添ってくれました。いきなり三者面談ではなく、まず週1回、10分だけプリントを取りに行くところから始めましょう、と。他の生徒に会わない時間を選んでくれたので、息子も「プリント取りに行くだけならいいよ」と学校に足を運ぶようになりました。面談では「家で退屈じゃない?休んだ日でも友達と遊んでいいんやぞ」と声をかけてくれて、前の学校で怒鳴られていた息子は「前と全然話し方違ったねぇ」と信頼を寄せるようになったのです。
回復のカギは「待つ」と「仕掛ける」のバランス
不登校×ADHDの回復で学んだことは3つ。
- 完全停止期は無理に動かさない。心が回復するまで待つ
- 好きなことへの没頭は回復のサイン。止めずに見守る
- 勉強の再開は「直接言う」より「環境を整える」。学習サービスを置いておくだけでいい
振り返ると、1ヶ月目の完全拒否から、2ヶ月目にリビングに出てきて、3ヶ月目に好きなことに没頭し始め、約1年後にようやくタブレットに触り始めた。この流れは、決して偶然ではなかったと思います。心が少しずつ回復していく過程で、タイミングを見て教材を「そっと置いた」。それが功を奏したのです。
私の場合——ベッドで三角座りのまま動かない息子を見て、「もう勉強なんて無理なんじゃないか」と何度も思いました。でも3ヶ月、半年と待っていたら、息子は自分から台所に立ち始めた。回復の順番は勉強からじゃなかった。
ADHDの子の不登校は「終わり」じゃない
通信講座で学習を再開できた息子は、その後も自分のペースで勉強を続け、最終的に志望していた全日制の私立高校に合格しました。
あの、ベッドで三角座りをしてボーッとしていた息子が。カレンダーの写真を見て「あの笑顔はどこに行ったの」とぼんやりと天井を見つめていた私が。今はこうして、息子の高校生活を見守ることができている。
止まっていた時計の針が、少しずつ動き始めた。その最初のきっかけが、教材でした。
同じように不登校のお子さんを見守っているお母さんへ。今は「何もできない日々」が続いているかもしれません。でも、その時間は決して無駄ではありません。心が回復する大切な時間です。焦らず、待って、そしてタイミングが来たら——学習サービスをそっと置いてみてください。
みっこの本音——待って、待って、待った先に
完全停止期から通信講座で毎日勉強するようになるまで、約1年かかりました。焦りで何度も口を出しそうになったけど、「待つ」と「仕掛ける」のバランスを覚えてからは少し楽になった。不登校は終わりじゃなくて、回り道の入口だったんだなぁ。
- 不登校に至るまでに失ったもの
- 【0〜1ヶ月目】完全停止期——ベッドで三
- 【2ヶ月目】リビングに出てきた——小さな
- 【3ヶ月目】好きなことへのエネルギーが戻
- 【約1年後・中学3年生の春】通信講座を


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