思春期の息子と会話がゼロになった日|沈黙から再び話せるようになるまで

記事ID:821 息子と会話ゼロになった日再び話せるようになるまで アイキャッチ(caseE版) 不登校の悩みと向き合い方

思春期の息子との沈黙は、地獄だった。

小学校まではあんなに「ママ、ママ」と甘えてくれていた息子が、中学に入った途端、まるで別人のように変わってしまった。話しかけても無視。食事も部屋で一人。笑顔が完全に消え、目つきだけが鋭くなっていく。

「もう一生このままなのかもしれない」と本気で思った時期がありました。

でも、あるきっかけから少しずつ会話が戻り始めたのです。我が家の場合、それは「趣味」という小さな接点でした。今回は、会話がゼロになった日々から、再び息子と話せるようになるまでのリアルな記録をお伝えします。

会話がなくなるまで

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みっこあのまま息子が豹変してしまった日のこと、今も忘れられないなぁ。

「勝手に入るな」から始まった

息子が私立中学校に入ってしばらくした頃、突然「親離れ」が始まりました。

それまでは、持ち帰った仕事をしている私の部屋にコーヒーを何度も運んできてくれるような子でした。「ママ長生きしてね」と夜、手を繋いで眠る。そんな甘えっ子だった息子が、ある日を境に豹変したのです。

部屋に入ると

「勝手に入るな!」

と怒鳴る。「入ってくるな!」と叫ぶ息子の声だけが、ドアの向こうから聞こえてくる。食事はドアの前に置いて、私は廊下で一人で食べる日もありました。

「一緒の電車に乗りたくない」

「離れて歩いて欲しい」「声が大きくて恥ずかしい」。毎日のようにきつい言葉を投げられ、私はただただ戸惑うばかりでした。

食卓から息子が消えた

反抗的な態度はエスカレートしていきました。学校のこと、勉強のこと、生活態度のこと。何を言っても

「うるさいな。やるって言ってるだろ」

と反発。

そしてある日から、息子は食卓に来なくなりました。ご飯を部屋に持って行き、一人で食べる生活が始まったのです。

リビングに残された私は、一人分だけの食事を前にして、ぼんやりテレビを見ていました。向かいの空っぽの椅子を見るたびに、胸がぎゅっと締めつけられるような気持ちになったことを覚えています。

会話らしい会話がなくなっていったのは、この頃からです。

同じ家にいるのに、LINEでやりとりしていた

信じられないかもしれませんが、あの頃の我が家では家の中での連絡もすべてLINEでした。「ご飯できたよ」「お風呂空いたよ」——そんな一言すら、直接言いに行くと「話しかけるな。うるさい。」と怒鳴られるからです。

同じ家に住んでいるのに、ドア越しの声すら拒否される。LINEなら既読がつくだけで返事がないこともありましたが、それでも怒鳴られるよりはマシでした。

部屋の前まで行って「ご飯だよ」と声をかけるだけで、「うるさい!」と壁の向こうから叫ばれる。だからLINEで送る。既読がついたら、ああ生きてるんだな、と安心する。親子のコミュニケーションが、既読の有無だけになっていた。あの頃が一番辛かったかもしれません。

私が家にいると、息子は台所にすら来なくなりました。特に土日はずっと部屋にこもったまま。喉が渇いても、お腹が空いても、私と顔を合わせたくないから我慢しているのだと分かっていました。かといって部屋に飲み物を持っていくと「勝手に入るな!」と怒鳴られる。

声もかけられない日は、部屋の前の廊下にお菓子と飲み物を入れた箱を置いた。ノックもしない。ただ置いて離れる。

これが実際に息子の部屋の前に置いていたお菓子BOXです。どのお菓子が減っているか確認して息子の好みを把握し、似たようなお菓子を探して買い足す。それを息子が食べてくれるのが、私のささやかな楽しみでした。

息子の部屋の前に置いていたお菓子BOX

考えた末に始めたのが、部屋の前の廊下にお菓子・軽食・飲み物を入れた箱を置くことでした。声もかけない。ノックもしない。ただ箱を置いて、そっと離れる。

しばらくすると、ドアの向こうから箱をガサガサ漁る音が聞こえてくる。ペットボトルのキャップを開ける音。お菓子の袋を破る音。——たったそれだけのことなのに、涙が出そうなほど嬉しかった。あの音が、息子がそこにいる証拠だったから。会話はゼロ。顔も見られない。でもガサガサという音だけが、私と息子をかろうじてつないでくれていました。

笑顔が消え、目つきが変わった

悪戯してはげらげらよく笑う子だったのに、笑顔が完全に消えました。表情はいつも硬く、何かあるとにらみつけてくる。

正直に言います。私は息子のことを「こわい」と感じてしまいました。自分の子なのに、こわい。私がそんなことを思ってしまう自分にもショックで、誰にも言えませんでした。

思い通りにいかないことがあると物を蹴ったり投げたりすることもあり、家の中にピリピリした空気が常に漂っていました。あの可愛かった息子はどこにいったんだろう。そんなことばかり考えていた時期です。

会話を取り戻そうとして失敗したこと

「学校どうだった?」は逆効果だった

沈黙に耐えられなくて、なんとか会話のきっかけを作ろうとしました。

「学校どうだった?」「今日は何の授業があったの?」

返ってくるのは無言か、よくて「別に」の一言。こちらが話しかければ話しかけるほど、息子は殻に閉じこもっていくのがわかりました。

今思えば、学校に行けていない時期もあった息子にとって、「学校どうだった?」は一番触れてほしくない話題だったのだと思います。でも当時の私は、なんとか普通の親子の会話をしたくて、必死だったのです。

勉強や生活の話は全て地雷

「宿題やった?」「テストいつ?」「スマホばっかりいじってないで」「部屋片付けなさい」

親として当たり前に言いたくなる言葉の全てが、息子にとっては地雷でした。何を言っても「人にばかり指示するけど、自分はちゃんとした私ができているのか」と反撃される。

私の欠点を的確に突いてくる言葉は、刃物のように刺さりました。言い返す気力もなくなり、やがて私のほうから話しかけることが怖くなっていきました。

こうして、親子の会話は本当にゼロに近づいていったのです。

私の場合——会話がゼロの時期がいつ終わったのか、正確には覚えていません。気づいたら少しずつ戻っていた、としか言えなくて。でもきっかけは覚えています。

転機は「趣味」だった

転機は、息子が公立中学校に転校し、私が勉強や生活への口出しを一切やめた後に訪れました。2年生の2学期あたりから、息子の様子が少しずつ変わり始めたのです。突発的にキレたり、怒鳴ったりすることが減っていきました。

笑顔や会話はまだない。でも、空気が少しだけ柔らかくなった。そのタイミングで、私は息子の「趣味」に目を向けることにしたのです。

「そのギターかっこいいね」から始まった一言

息子の趣味はギター、料理、筋トレでした。

ある日、息子が部屋でギターを弾いているのが聞こえてきました。以前なら「勉強は?」と言っていたかもしれない。でもその日、私は意識して別の言葉を選びました。

「そのギター、かっこいいね」

これが息子の愛用しているギターです。反抗期で家族と話さなくなった頃も、部屋からはこのギターの音だけが聞こえていました。

息子の愛用ギター。反抗期でも毎日弾き続けていた

たった一言です。息子は少し驚いた顔をして、ほんの一瞬だけ目を合わせました。返事はなかったけれど、嫌な顔もしなかった。それだけで、私は嬉しかった。

それ以来、「今どんな曲練習してるの?」「すごいの弾けるようになったね」と、趣味に関する話題だけを少しずつ振るようにしました。

料理 →「材料買いに行かない?」

息子は料理にも興味を持っていて、時々キッチンで何か作っていました。「すごいの作るね」「美味しそう」と声をかけるうち、少しずつ返事が返ってくるようになりました。

そしてある日、息子のほうから声がかかったのです。

「ねぇ、この料理作りたいんだけど材料買いに行かない?」

一瞬、耳を疑いました。あの、話しかけるだけで無視されていた息子が、自分から「一緒に買い物に行こう」と言ってくれている。スーパーに向かう車の中で、私は涙をこらえるのに必死でした。

筋トレ →「〇〇買ってくれない?」

筋トレにハマっていた息子から、次に出た言葉は「筋トレしたいから〇〇買ってくれない?」でした。

内容はささいなお願いです。でも、息子が自分の「やりたいこと」を私に話してくれる。それがどれだけ嬉しかったか。

「いいよ、一緒に見に行こうか」と返すと、「別に一人で買えるけど」と素っ気ない態度。でもその口元が、少しだけ緩んでいるのを私は見逃しませんでした。

そしてある日「ニキビってどうやったらなおるの?」

趣味の話から始まった会話が少しずつ広がっていく中で、ある日息子がぽつりと聞いてきました。

「ニキビってどうやったらなおるの?」

思春期の男の子にとって、見た目の悩みを母親に相談するのは、けっこう勇気がいることだと思います。それを聞いてくれたということは、息子の中で私が「相談していい相手」に戻りつつある証拠でした。

「病院に行ってみる?医療費の補助があるから500円くらいだよ」と答えると、「じゃあ行く!」と即答。その日、久しぶりに二人で笑いました。

反抗期が落ち着いてきた頃、息子から突然LINEが届きました。「コンビニにママの好きなラーメンが売ってる!買って帰ろうか?」。本当はラーメンの気分ではなかったし、スーパーならもっと安い。でもすぐに「やったー!買ってきて。ありがとう」と返しました。限られたお小遣いで私の物を買ってきてくれる息子。1年前は話しかけるだけで壁を殴っていた子が。ラーメンを食べながら幸せをかみしめました。

幼稚園の頃、1つしかないお菓子を「これはママのだから食べない」といつも私のことを優先してくれていた息子。反抗期に入ってその面影は消えたと思っていました。でもラーメンのLINEを見て気づいたのです。消えたんじゃない。ずっとあった。見えなくなっていただけだった。

ある日の夕方、リビングでテレビを見ていると、息子がふらっと隣に座った。何も言わず、ただ隣にいるだけ。でも、それだけで胸がいっぱいになった。何ヶ月も会話がゼロだった私たちにとって、「隣に座る」という行為がどれほど大きな一歩だったか。やがて息子は冗談を言うようになり、笑顔も戻り始めました。

会話が戻るまでにかかった時間

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みっこ約1年半。渦中にいた時は永遠に感じたなぁ。

我が家の場合、会話がほぼゼロになったのは中学1年の途中から。そこから息子が自分から話しかけてくれるようになったのは、中学2年の2学期以降です。

約1年半。この期間を「短い」と感じるか「長い」と感じるかは人それぞれだと思います。

ただ、渦中にいた私にとっては永遠のように感じました。「一生このままの息子が続くんじゃないか」「いつまでこんなに反抗的な態度を取られるんだろう」と不安で不安で、眠れない夜が何度もありました。

でも振り返ると、一気に変わった日があったわけではありません。少しずつ、少しずつ。怒鳴る回数が減り、趣味の話に反応するようになり、自分から声をかけてくれるようになり…。「きっといつか元の息子に戻る」と信じて見守った時間は、意味のある時間だったと今は思えます。

私が気をつけたこと3つ

勉強・学校の話は自分からしない

これが一番大きかったと思います。以前の私は息子に勉強のことをガミガミ言っていました。私立中学校にいた頃は学校からも指導され、「勉強させなければ」と必死だったのです。

でも公立中学校に移ってからは、一切口出しをやめました。勉強しろと言わない。テストの結果を聞かない。学校に行ったかどうかも確認しない。

最初は不安で仕方なかったけれど、口出しをやめたことで、息子の態度は明らかに変わっていきました

趣味を否定しない

息子は色々なことに興味を持つタイプです。ギター、料理、筋トレ、株、ジム。「そんなことやってる暇があったら勉強したら?」と以前なら言っていたかもしれません。

でも、趣味こそが息子との唯一の接点だと気づいてからは、何をやりたいと言ってきても否定しないと決めました。「心配ごとの9割は実際には起こらない」という言葉を自分に言い聞かせながら。

結果的に、趣味を認めてもらえたことで息子は「やりたいことをちゃんと話せばわかってくれる」と理解してくれたようです。

短い返事でもOKとする

会話が戻り始めた頃、息子の返事は「うん」「別に」「まぁ」程度でした。以前の私なら「ちゃんと答えて」とイライラしていたかもしれません。

でも、返事が返ってくるだけでいい。目を合わせてくれるだけでいい。そう思えるようになったのは、完全な沈黙を経験したからこそです。

「返事がある」ということ自体が、息子からの歩み寄りなのだと受け止めるようにしました。

思春期は親より友達の影響が100倍大きい

反抗期を通して痛感したのは、思春期は親の言うことより100倍友達の影響を受けるということです。

我が家の息子は反抗期が激しかったですが、それは家の中だけでした。外では友人にとても優しく、電話で楽しそうに笑って話している。友達に暴言を吐いたり、外で悪いことをしたりすることは一切ありませんでした。

息子の交友関係がうまくいっていて、真面目な友人が多かったことは救いでした。自然と友達の影響を受けて、良い方向に向かっていったのだと思います。

何度言っても変わらない。言えば言うほどお互いが消耗していくだけだった。それよりも、息子が良い友人関係を築けるよう、見守る姿勢でいることが大切だったのです。

今、沈黙の中にいる親御さんへ

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みっこ沈黙の中にいる親御さんへ。あなたは一人じゃないよ。

私の場合——「いつか元に戻る」を信じ続けるのが一番しんどかった。信じるって、何もしないことだから。何もしないのに体力だけ削られていく感じでした。

もし今、思春期のお子さんとの会話がなくなって苦しんでいるなら、伝えたいことがあります。

子どもをこれ以上追い込みたくないから、親が盾になる。学校からの電話、周囲からの視線、世間の「正論」——全部自分が受け止める。そうやって不登校の親は、誰にも気づかれないまま、どんどん追い詰められていくのです。

沈黙は永遠には続きません。

我が家は反抗期の約2年間、本当につらい時間を過ごしました。でも息子がふらっとリビングに来て隣に座ってくれた日、全てが報われた気がしました。

そこからは一緒に買い物に行ったり、ご飯を食べに行ったりできるほどまで関係が回復しています。

「不登校の子を学校に行かせないのは親の責任だ」——そんな言葉を目にしたことがあります。想像してみてほしい。布団にもぐり込んで全身で抵抗する子どもを、一体どうやって行かせるのか。私だって学校に行ってほしかった。最初から「行かなくていいよ」なんて言える親は、ほとんどいません。何が何でも行かせようとあの手この手で頑張って、子どもの様子がおかしくなって初めて気づくのです。無理に行かせることで、さらに心を壊してしまう子がいることを。

「きっといつか元の子に戻る。その日まであまり口出しせずに見守ろう」

。私がずっと自分に言い聞かせていた言葉です。この言葉が、今苦しんでいる親御さんの少しでも支えになればと思います。

みっこの本音——沈黙を越えた先にあったもの

あの沈黙の日々を思い出すと、今でも胸のあたりがきゅっとなります。でも息子がふらっとリビングに来て、何も言わずに隣に座ってくれた日——あの瞬間のために全部あったんだなぁと、今は思えるようになりました。思えるようになるまでに、ずいぶんかかったけど。

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この記事のポイント
  • 中学入学後、息子は突然豹変し「勝手に入るな」と拒絶するように
  • 「学校どうだった?」「勉強しろ」等の声かけはすべて地雷になる
  • 転機は趣味(ギター・料理・筋トレ)の話題
  • 会話が戻るまで約1年半かかった
  • 気をつけたこと: ①勉強・学校の話をしない ②趣味を否定しない ③短い返事でもOK
  • 思春期は親より友達の影響が100倍大きい
沈黙の中にいるお母さんへ、少しでも届きますように。
不登校の悩みと向き合い方
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みっこ
この記事を書いた人

シングルマザーとして、不登校・起立性調節障害・ADHDの息子と歩んできました。中3の4月に始めた通信講座(進研ゼミ)をきっかけに、約1年後に高校合格。同じように悩んでいる親御さんに「あなただけじゃないよ」と伝えたくてこのサイトを作りました。

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