不登校から高校合格へ|シンママと息子の2年間のリアルな記録

桜と校門の春の風景 シングルマザーの教育戦略

不登校の子どもを持つシングルマザーへ。この記事は、私と息子が歩んだ2年間の記録です。

私は40代のシングルマザー。息子が幼稚園の頃に離婚し、ひとりで育ててきました。親族はほぼ全員が医師。その期待の中で、「お金の面では苦労させない。学力という財産を息子に残してあげよう」と自分に言い聞かせ、教育だけは諦めまいと走り続けました。

小5から仕事を減らし、小6の1年間は完全に仕事を辞めて貯金を切り崩す生活。暗記カードを何百枚も手作りし、テスト結果を毎回分析して苦手を潰し、間違えた問題を1冊のノートにまとめる——あの頃は睡眠時間を削ってでも息子の受験を支える覚悟でした。年間100万円を超える塾代に貯金は減り続け、胃が痛くなるストレスを抱えながらも、「この子の未来のため」と自分を奮い立たせていました。

結果、息子は難関私立中学に合格。でもそこからが、本当の戦いの始まりでした。

私立退学、公立転校、不登校、ADHDグレーゾーンの診断。そして通信教育との出会い、高校合格。その2年間を、ありのままに書き残します。

中1の1学期 — 異変の始まり

息子の異変に気づいたのは、私立中学に入学して間もない中1の1学期でした。

入学直後から、息子は朝起きられなくなっていました。最初は「思春期だから」と思っていたのですが、次第に頭痛や吐き気を訴えるように。病院で「起立性調節障害」の再発と診断されました。

1学期末頃にいったん回復するも、授業についていけなくなっていました。私立中学は進度が速く、一度遅れると取り戻すのが本当に難しい。友人関係もうまくいかなくなり、先生からは「このままでは進級が厳しい」と告げられました。

悩み抜いた末に、中1の終わり(春休み)に私立を退学。地元の公立中学に転校しました。

「環境が変われば、きっと…」。そう願っていましたが、転校して2日目から息子はまた学校に行けなくなりました。知らない教室、知らない同級生。起立性調節障害は環境を変えただけでは治らなかったのです。中2の1学期はほぼ完全な不登校状態が続きました。

中2の夏〜秋 — 何もできない日々

公立に転校してからの中2前半は、私にとっても息子にとっても、一番暗い時期でした。

息子は部屋から出てこない日が続きました。食事もほとんど取らない。声をかけても返事がない。布団に包まって一日中寝ている。たまにリビングに出てきても、目に光がありませんでした。

私自身も、精神的に限界でした。シングルマザーとして、すべてを一人で抱え込んでいたのです。「中学受験であれだけお金も時間もかけたのに」「私の育て方が悪かったのか」。自分を責める毎日。食欲がなくなり、眠れなくなり、心療内科のお世話になりました。

あの頃、誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしかった。でも親族は医師ばかりで、「不登校」をなかなか理解してもらえませんでした。孤独でした。

中2の3学期 — 少しずつ動き出した息子

転機は中2の2学期に入った頃でした。

ある朝、息子が自分から「学校、行ってみようかな」と言ったのです。理由は今でもはっきりとはわかりません。でも私は大げさに反応しないよう気をつけながら、「行けるなら行ってみたら」とだけ返しました。

その日から、少しずつ通学が再開しました。最初は週に1〜2日。保健室登校の日もありました。でも、「転校して良かった」と息子がぽつりと言った日があったのです。

公立中学の先生方がとても温かく接してくれたこと。「来られる日に来ればいいよ」というスタンスが、息子にはありがたかったようです。

3学期には週3〜4日通えるようになりました。完全復帰ではなかったけれど、あの真っ暗な秋冬を思えば、確かな一歩でした。

中3の春 — 高校受験を決意、でも塾は不合格

中3になり、周りが受験モードに入る中、息子も「高校は行きたい」と言い始めました。

でも現実は厳しかった。不登校期間中にほとんど勉強していなかったため、学力は壊滅的。特に英語は10点台。数学も基礎が抜け落ちている状態でした。

まず塾を検討しました。しかし、入塾テストで不合格。「今の学力では授業についていけないので…」と丁寧に断られました。

あの時のショックは忘れられません。息子の前では平気な顔をしていましたが、帰り道の車の中で泣きました。中学受験で年間100万円以上の塾代を払い、親子で必死に戦った日々が走馬灯のように浮かんで、「あんなに頑張ったのに」と情けなくなりました。

でも、泣いている暇はありませんでした。息子が「高校に行きたい」と言ってくれた。その気持ちがある限り、親として道を探し続けるだけです。

中3の夏 — 通信講座との出会い

塾がダメなら、他に方法はないか。インターネットで必死に調べました。そこで出会ったのが、通信教育でした。

我が家が選んだのは通信教育でした。月数千円で、自宅で、自分のペースで取り組める。塾とはまったく違うアプローチでした。

💡 約1年で合格した具体的な勉強法

通信講座の選び方や学習計画の立て方はこちらの記事で詳しくまとめています。

そしてこの頃、私は一つ大きな決断をしました。「勉強しろ」と言うのをやめたのです。

中学受験の時は、毎日の学習を管理し、テスト結果を分析し、苦手を潰すことに全力を注いでいました。でも不登校を経て、息子に必要なのは「管理」ではなく「信じて待つこと」だと気づいたのです。

タブレットをリビングのテーブルに置いておく。やるもやらないも、息子に任せる。最初の1週間は触りもしませんでした。でも、ある日ふとタブレットを開いて、数学の問題を1問解いていた。それを見て、私は心の中でガッツポーズをしました。

中3の秋〜冬 — 自分のペースで勉強する息子

夏から秋にかけて、息子は少しずつ通信教育に取り組むようになりました。最初は1日10分程度。それが20分、30分と延びていく。誰に言われなくても自分からタブレットを開くようになった時は、本当に嬉しかった。

ADHDグレーゾーンの息子にとって、「自分のペースでできる」ことは何より重要でした。その自由さが、結果的に学習の継続につながったのです。

この頃、息子に嬉しい変化がありました。夕食を作ってくれるようになったのです。「お母さん、今日はチャーハン作るわ」と台所に立つ息子の背中を見て、涙が出そうになりました。

勉強だけが成長ではない。でも、通信教育で「自分でもやれる」という自信を取り戻したことが、生活全体にいい影響を与えているのだと感じました。

中3の3月 — 志望高校に合格

受験当日。息子は緊張した面持ちで家を出ました。「行ってきます」と小さく言った声が、少し震えていた。

合格発表の日。二人でスマホの画面を見つめました。

息子の受験番号を見つけた瞬間、二人とも言葉が出ませんでした。数秒の沈黙の後、息子が「…受かった」と呟き、私は「おめでとう」と言いながら泣いていました。

英語10点台からのスタート。塾にも入れなかった。通信教育を始めたのは中3の夏。約1年間の勉強。でも、息子は自分の力で合格を勝ち取ったのです。

中学受験の時、私は息子の隣で暗記カードを作り、テストを分析し、すべてを管理していました。でも高校受験は違った。息子が自分で選び、自分のペースで取り組み、自分の力で掴んだ合格でした。

それは偏差値で測れば大した学校ではないのかもしれません。でも私にとっては、難関私立に受かった時よりもずっと、ずっと嬉しい合格でした。

今伝えたいこと

息子は今、高校生です。料理が得意になり、ギターを弾き、筋トレに励む毎日。「医者は本当になりたい仕事じゃなかった」と笑って言います。

医師家系に育ち、偏差値こそ正義だと信じてきた私にとって、その言葉は最初、少し複雑でした。でも今は心から思います。息子が自分の言葉で自分の人生を語れることが、何よりの財産だと。

不登校の2年間は、親子ともに地獄のような日々でした。でも、あの時間があったからこそ、今がある。

シングルマザーで不登校の子どもを抱えているあなたへ。

一人で全部背負わなくていい。完璧な親でなくていい。塾に行けなくても、成績が悪くても、学校に行けなくても。お子さんが「やりたい」と言った時に、そっと背中を押してあげられる存在であること。それだけで十分です。

一緒に食卓を囲んで、「今日のご飯おいしいね」と笑い合える日常。あの暗い日々を超えた先に、そんな穏やかな毎日が待っていました。

道は必ずあります。あなたとお子さんのペースで、一歩ずつ進んでいってください。

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