ADHDの中学生が不登校に|通信講座で勉強を再開するまでの全記録

ADHD・発達障害と向き合う

学校に行けなくなった。勉強もしなくなった。一日中、部屋でゲームかギターを弾くだけの日々。

「この子の人生、どうなってしまうんだろう」

ADHDの特性と不登校が重なったとき、親の絶望感は想像を絶します。でも、ゼロから少しずつ積み上げた記録をここに残します。同じ状況にいるお母さんの「次の一歩」のヒントになれば。

不登校に至るまでに失ったもの

中学受験から私立中学、塾代を合わせると4年間で400万円以上を教育につぎ込んでいました。それなのに息子は不登校になった。「全部無駄だった」——そう思った瞬間、教育そのものへの気力が消えかけました。

不登校になる前、息子がたまに学校に行く時期がありました。行けた日は私の気持ちも晴れやかになり、休んだ日は寝込むほど落ち込む。出席に一喜一憂する毎日が続きました。学校行事に1人で参加するのも辛かった。説明会も体育祭も夫婦で来ている人ばかりで、シングルマザーの私はいつもぽつんと1人。息子に「来なくていい」と言われ体育祭に行かなかったことがあります。後日、友人から「息子くん、応援団やっててかっこよかったよ」と聞いた時、行けばよかったと心底後悔しました。

部屋に貼った写真カレンダーを見て泣いた日々

不登校が続いていた頃、私は息子の小さい頃の写真をカレンダーにして、自分の部屋の壁に貼っていました。幼稚園の運動会で満面の笑みを見せる息子。小学校の入学式で誇らしげにランドセルを背負う息子。中学受験の合格発表で飛び跳ねて喜ぶ息子。

「あの笑顔の男の子は、どこに行ってしまったの」

写真の中の息子と、部屋に閉じこもって食事もろくに取らない今の息子。その落差に耐えられず、カレンダーを見るたびに涙が止まりませんでした。でも外すこともできなかった。あの笑顔が、息子が「元気だった証拠」のように思えて、手放すのが怖かったのです。

【0〜1ヶ月目】完全停止期——ベッドで三角座りの日々

私立中学を退学し、公立中学に転校したものの2日で不登校になった息子。最初の1ヶ月は、文字通り何もできなかった

息子はベッドの上で三角座りをして、ずっとボーッとしていました。起きるのは昼過ぎ。起きてもゲームかYouTube。声をかければ「うるさい」の一言。

食事も家族と取らなくなりました。リビングに降りてくることすらなく、部屋に閉じこもったまま。私が食事をドアの前に置いても、手をつけない日もありました。大好きだった友達と離れた衝撃が、息子の心を凍りつかせていたのです。

私立中学の友達に「学校を辞めることにした」と告げたのは、退学を決めた3日後のこと。息子は友達一人ひとりに「今までありがとう。お前とはこんなことしたよな。楽しかった」というメッセージを丁寧に送っていました。それを見て、私は心が締め付けられる思いでした。

私は毎日、息子の部屋の前で立ち尽くしていました。ドアの向こうから聞こえるゲームの音。「この音が止まる日は来るのだろうか」と、暗い気持ちで耳を澄ませていました。

息子の言葉——「もう自分は勉強できない子だ」

ある日、珍しくリビングに降りてきた息子がぽつりとこう言いました。

「俺さ、もう自分は勉強できない子だと思う」

中学受験で難関校に合格し、大手塾の上位クラスにいた息子。小学校ではオール5。ママ友から「うちの子に数学教えてあげて」と頼まれるような子だったのに——その息子が「勉強できない子」と自分を定義している。胸が潰れるような思いでした。

でも後から気づいたのは、息子の中には別の感情もあったということです。「本気出せばやれる」——そんな根拠のない自信が、実はまだ残っていました。なぜなら、中学受験で3年間必死に勉強し、難関校に合格した成功体験があったから。あの時の「やればできた」という記憶が、完全には消えていなかったのです。

私からすると「失敗」に思えた中学受験でしたが、頑張ったことに失敗はない。息子の中で、あの経験は確かに「もう一度やればできるかもしれない」という小さな灯火として残っていました。

【2ヶ月目】リビングに出てきた——小さな変化の兆し

2ヶ月目に入ると、少しずつ変化が見え始めました。

まず、食事をリビングで取るようになった。最初は私と同じ時間には食べず、私が食事を終えた後にこっそり降りてきて、一人で食べていました。でもそれだけでも、私にとっては大きな進歩でした。

それから、前の学校の友達とスマホで話すようになりました。グループ通話でゲームをしながら笑い声が聞こえてくると、「まだ社会とつながれている」とホッとしました。不登校で外に出られない息子にとって、スマホの向こうの友達は唯一のつながりだったのです。

週末には友達と外出することも出てきて、少しずつ「部屋の外」に意識が向き始めていました。

【3ヶ月目】好きなことへのエネルギーが戻ってきた

勉強はまだゼロ。でも息子は「何もしていない」わけではありませんでした。

料理にハマり始め、夕食を作ってくれるように。スマホでレシピを検索しながら、スパイスを何種類も並べてカレーを作ってくれた日のことは忘れられません。ギターの練習は毎日3時間。筋トレも欠かさない。好きなことへの過集中は健在でした。

「この集中力を勉強に…」と思いましたが、ここで焦るのはNG。過去に何度も失敗しています。中学受験の時と同じ感覚で「勉強しろ」と迫って、親子関係が壊れかけた経験がある。「好きなことができているなら、心は回復に向かっている」——そう自分に言い聞かせました。

前まで部屋に入っただけで怒鳴って怒っていた息子が、「こんな料理作ったけど食べてみて」と持ってくるようになった。その変化だけで十分。勉強のことは、もう少し待とうと決めました。

【4ヶ月目】通信講座を「置いてみた」

直接「勉強しよう」とは言いませんでした。代わりに、リビングのテーブルにタブレットを置いて、通信講座のアプリを開いた状態にしておきました。

最初は完全無視。3日間、一度も触りませんでした。

でも4日目、料理の合間に何気なくタブレットを触って、理科の動画を1本だけ見た。それが最初の一歩でした。

その日、私は何も言いませんでした。「見たんだ、えらいね」も言わない。自然に、何事もなかったように過ごしました。ADHDの子に「やらされている」と感じさせたら終わりだと学んでいたから。

シングルマザーで金銭的に余裕があったわけではないので、通信講座は低価格な進研ゼミを選びました。タブレットメインで学ぶ講座にしたのは、紙の教科書だと「勉強感」が強すぎて息子が拒否すると思ったから。スマホと同じ「画面をタップする」行為なら、心理的なハードルが低いと考えたのです。

【5〜6ヶ月目】週3回、15分ずつ

少しずつ、通信講座に触れる頻度が増えていきました。

毎日ではない。気が向いた時だけ。でも週に3回、1回15分程度の学習習慣がゆるやかに形成されていきました。

ADHDの特性に合っていたのは以下の点です:

  • 1回の学習が短い(15分で1単元が完結する)
  • 映像授業が視覚的に面白い
  • AI が「次にやるべき問題」を自動選定してくれるので、自分で計画を立てなくていい
  • 正解するとポイントが貯まる仕組みがある(即時報酬)

中1の範囲から復習できるのも大きかった。中学1年から勉強がストップしていた息子にとって、「自分が止まったところから始められる」という安心感は計り知れなかったと思います。

【7ヶ月目〜】毎日の学習が「当たり前」に

7ヶ月目には、息子は自分から毎日通信講座を開くようになりました。

まだ1日30分程度。学校の授業時間には遠く及ばない。でも、あの「何もしない日々」を思えば、奇跡のような変化です。

「今日の英語の動画、先生の説明うまかった」——そんな何気ない一言が、私にとっては宝物でした。

友達と遊ぶ時間を優先しながら、空いた時間にタブレットで勉強する。そのスタイルが息子には合っていました。私も前の失敗を反省し、「勉強しろ」とは一切言わないように心がけたことで、息子の反抗期は次第に収まっていきました。

支えてくれた人たちの存在

孤独な日々の中で、救いになったのは外部の支えでした。市の発達障害相談に行った時、担当の方に「お母さん、頑張ってるね」と言われた瞬間、涙が止まらなくなりました。誰にも弱音を吐けず、1人で全部抱えてきた。そのひとことで心の蓋が外れました。

公立中学の先生も、息子に寄り添ってくれました。いきなり三者面談ではなく、まず週1回プリントを取りに行くところから始めましょう、と。他の生徒に会わない時間を選んでくれたので、息子も「プリント取りに行くだけならいいよ」と学校に足を運ぶようになりました。面談では「家で退屈じゃない?休んだ日でも友達と遊んでいいんやぞ」と声をかけてくれて、前の学校で怒鳴られていた息子は「前と全然話し方違ったねぇ」と信頼を寄せるようになったのです。

回復のカギは「待つ」と「仕掛ける」のバランス

不登校×ADHDの回復で学んだことは3つ。

  1. 完全停止期は無理に動かさない。心が回復するまで待つ
  2. 好きなことへの没頭は回復のサイン。止めずに見守る
  3. 勉強の再開は「直接言う」より「環境を整える」。通信講座を置いておくだけでいい

振り返ると、1ヶ月目の完全拒否から、2ヶ月目にリビングに出てきて、3ヶ月目に好きなことに没頭し始め、4ヶ月目にタブレットに触り始めた。この流れは、決して偶然ではなかったと思います。心が少しずつ回復していく過程で、タイミングを見て通信講座を「そっと置いた」。それが功を奏したのです。

ADHDの子の不登校は「終わり」じゃない

通信講座で学習を再開できた息子は、その後も自分のペースで勉強を続け、最終的に志望していた全日制の私立高校に合格しました。

あの、ベッドで三角座りをしてボーッとしていた息子が。カレンダーの写真を見て「あの笑顔はどこに行ったの」と泣いていた私が。今はこうして、息子の高校生活を見守ることができている。

止まっていた時計の針が、少しずつ動き始めた。その最初のきっかけが、通信講座でした。

同じように不登校のお子さんを見守っているお母さんへ。今は「何もできない日々」が続いているかもしれません。でも、その時間は決して無駄ではありません。心が回復する大切な時間です。焦らず、待って、そしてタイミングが来たら——通信講座をそっと置いてみてください。

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